菅原神社の創建の年月は不詳です。境内にある本殿解説板によると元は池田中・池田川・池田下の旧三ヶ村の産土神で、祭神は琴平神社の祭神、大国主命であったが、正暦年間に菅原道真公を合祀して天満宮と呼ばれ、のち氏神社と改め、門田神社とも呼んだ。
明治五年村社に列し、同四十四年神饌幣帛料供進社に指定され、同年一月十日に村社の菅原神社、同氏神社を合祀し、大正元年八月十九日、現在の社名に改められた。
神饌幣帛料供進神社とは
郷社、村社を対象に明治から終戦に至るまで勅令に基づき県令をもって県知事から、祈年祭、新嘗祭、例祭に神饌幣帛料を供進された神社。
周辺マップと路線経路
入口
京都守口線と木屋門真線の交差点。“菅原神社前”
とんど祭のお知らせ。
この日は、とんどだった日ですが、到着がお昼頃だったので終わっていました。
とんどとは、毎年小正月に神への感謝の気持ちと、その年の豊作、無病息災を祈願して行うとんど祭。
【参道入口】
小さな橋を渡る。
【社号標】
【一の鳥居】
【参道】
【二の鳥居】
二の鳥居をくぐると右に恵比寿さん。
左に大黒天さん。
【手水舎】
【神牛舎】
布団をかぶる神牛。
菅原神社 社殿
【狛犬 阿形】
【狛犬 吽形】
【社殿】
【拝殿内】
【菅原神社本殿 案内板】
菅原神社本殿
寝屋川市教育委員会
寝屋川市指定文化財 建造物 第2号
菅原神社は、寝屋川市池田中町に鎮座する池田中・池田川・池田下の旧三ヶ村の産土神で、元の祭神は大国主命でしたが、江戸時代の寛永年間(1624~1644)に菅原道真を祀るようになりました。明治44(1911)に葛原と点野の菅原神社が合祀され、翌大正元年(1912)に現在の神社名となりました。
現在、拝殿と幣殿が一体となった入母屋造桟瓦葺の覆い屋の中に保存されている本殿は、木造一間社流造の建物で、屋根は柿葺となっています。
各部に彫刻が施されていますが、刳抜蟇股には竹に虎、梅に鶯、牡丹などがみごとな彫られており、桃山時代の様式にも通じるすばらしいものです。妻飾も、市内の神社に多く見られる虹梁大瓶束ではなく豕扠首組となっており、古代を示しています。建築年代を明らかにする記録等の資料は残っていませんが、装飾等の特徴から江戸時代前期に建てられと考えられます。
本市において江戸時代前期に遡る可能性のある数少ない神社建築で、平成23年11月3日に、市指定有形文化財(建造物)に指定されました。
末社 白太夫神社
【狛犬 阿形】
【狛犬 吽形】
末社 琴平神社
【狛犬 阿形】
【狛犬 吽形】
【琴平神社 御由緒碑】
御由緒碑
御由緒碑より
末社「琴平神社」を単独の祠にしました。
末社「琴平神社」の祭神は大国主命です。
大国主命は、旧茨田郡池田中・池田川・池田下三ヶ村の産土神で、本社の元の祭神でありましたが、寛永年間(一六二四~四四)永井氏支配後、天満宮(祭神は菅原道真)となり門田神社と呼ばれていましたが、明治四十四年(一九一一)に葛原と点野の菅原神社が合祀され、大正元年(一九一二)に現在本社名の「菅原神社」に改められました。
平成十九年十月 菅原神社 総代一同
寝屋川市の保存樹
クスノキ 樹高17.00m 幹回り2.70m 樹齢150年
クスノキ 樹高16.40m 幹回り2.60m 樹齢150年
稲荷神社
菅原神社の入口近くに鎮座する稲荷神社。
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