三尾明神はその昔、伊弉諾尊がこの地に降臨され、長等山の地主神となられた。この神は常に三つの腰帯をつけておられた。ある時、その三つの腰帯が赤尾神・白尾神・黒尾神となられ、それぞれ三ヶ所で出現されました。
最初の出現は赤尾神で、上の三尾(琴尾山 山上の祠)と称されたが、出現の時は太古卯年の卯月卯日卯の刻というだけで何の時代の何年という事が不明です。
第二の出現は白尾神で、場所は現在の三尾神社(筒井の祠)とされている。出現の時は文武天皇の大宝年間の夏というだけで何年という事が知られていません。
第三の出現が黒尾神で鹿関の地でこの神のみが称徳天皇の神護景雲三年三月十四日の出現とされています。
三神とも御本体は一つで伊弉諾尊となっています。この神は常に赤・白・黒の三帯を着しその形が三つ尾をひくのに似ているところから三尾明神といい、これを上の三尾・中の三尾・下の三尾と称されていました。
社殿は、貞観元年(859年)の春、園城寺の開祖である智証大師円珍が琴尾谷に復興した後、室町時代、応永33年足利将軍が現存の本社を再興した物です。
慶長4年には豊臣秀吉が社殿の修理を加え、若干の朱印を下附せられました。本社が上の三尾(琴尾谷)より現在地に移ったのは明治9年、明治14年には郷社に加列された。明治22年には内務省より古社保存資金を下賜され、明治43年に県社に昇格しています。
また「寺門伝記」補録に、三尾明神と長谷寺縁起との関連も記されています。
近くに長等神宮、大津大神宮が鎮座します。
路線経路と周辺マップ
三尾神社 入口
【鳥居】
鳥居から参道がつづきます。
【社号標】
【手水舎】
境内の様子
【参道】
【三尾神社 由緒】
三尾神社
由緒書きより
御祭神 伊弉諾尊 いざなぎのみこと
例大祭 五月二日 渡御祭 五月三日
御由緒
当社は太古伊弉諾尊がこの地に降臨され長等山の地主神として鎮座されたのを創始とする。この神は常に赤・白・黒の三帯を着しその形が三つ尾をひくのに似ているところから三尾明神と申し上げる。貞観元年(八五九)園城寺の開祖智証大師が琴緒谷に社殿を復興され爾来朝野の篤い崇敬をうける。應永年間足利将軍現存の本社を再興し慶長年間豊臣秀吉も社殿を修理し社領を寄進する等広く世に崇敬されてきた。明治九年本社を琴緒谷(上の三尾)から現在地に遷し奉り今に至る。明治二十二年内務省古社保存資金下賜明治四十三年県社に昇格している。
御神紋 真向きの兎
【兎の像】
【社務所】
三尾神社 社殿
【狛犬】
【拝殿】
入母屋造
【本殿】
本殿は三間社流造形式で檜皮葺の建物です。
本殿は、応永33年(1426一)に建立さ
れ、慶長14年(1609)に全体的な修理が行なわれました。平成26年12月に国の重要文化財に指定されました。
【三尾神社本殿 案内】
重要文化財
大津市 令和四年(二〇二二)九月
建造物
三尾神社本殿 一棟
(大津市園城寺町)
三尾神社本殿は、大型の三間社流造形式
で檜皮葺の建物です。身舎は桁行三間に梁間二間の規模で、正側面に縁を廻らせて背面柱筋に脇障子を立てます。内部は梁間中央の柱筋で二分し、前方を外陣とし、後方の内陣はさらに三室に区分し
ています。正面に三間の庇を延ばし、中央間に木階五級をつけ浜床を設けます。
本殿は、応永三三年(一四二六)に建立さ
れ、慶長一四年(一六〇九)に全体的な修理が行なわれました。室町時代中期に建立されたこの本殿は、木太い軸部や簡素な意匠による古風かつ雄大な形態を保守しており、わが国の中世神社建築の展開を理解するうえで高い価値を有しているとして、平成二六年一二月に国の重要文化財に指定されました。
【塀瓦の兎】
塀瓦には兎の紋様があります。
三尾神社 摂末社
阪下茂畑稲荷神社
御祭神 稲荷神
御利益
五穀豊穣、家業繁栄、商売繁盛、産業隆盛
【拝殿】
奥に本殿が見えます。
結びの神白山神社、火除けの神愛宕神社
御祭神
白山神社祭神:菊理媛神
愛宕神社祭神:伊弉冉尊
学業成就の神様 天満宮
御祭神 菅原道真
商売繁盛の神 蛭子神社・延命長寿の神 白鬚神社
蛭子神社 御祭神:えびす神
白鬚神社 御祭神:猿田彦命
子授け安産 夏虫の神 日御前神社
御祭神 天御中主神、高御産巣日神、神産巣日神
7月2日は朝瓜祭りは日御前神社の例祭。天武天皇の子、大津皇子の三女である瓜生姫の創建で、もと中保町に鎮座のところ、1911年(明治44年)三尾神社境内に遷し末社としました。
子供の病気(夜泣き・かんのむし)、安産に霊験あらたかな姫宮信仰の神霊石があり、この神霊石が朝瓜形をしているところから、参拝者は瓜に子供の名前を書いてお供えをする風習ができました。
【神輿庫】
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