高瀬神社は、大阪府守口市に鎮座する神社。式内社で、旧社格は村社。
旧世木村・馬場村の氏神。古代の難波の宮(現在の大阪城付近)の表鬼門の地に鎮座するところから鬼門の守護神として崇敬されてきた。
創建は不明(西暦8世紀前半)。社伝では聖武天皇(七〇一年~七五六年)の勅願により行基が高瀬里に鎮座したものとされる。主祭神の天之御中主神は当時の主神天照大神よりも古い神である事から少し時代を遡るとする説もある。
周辺マップ
高瀬神社 入口
【入口の様子】
京阪電車「土居駅」から徒歩5分ほどの場所に鎮座しています。平野守口線(大阪府道159号)沿い。社域は狭い。京阪電鉄土居駅前商店街の南端に鎮座し、楠の巨木が高くそびえ立つ様が神域の森の名残を残している。
【鳥居】
【社号標】
【境内にある石碑】
さしのぼる 高瀬の里の いたずらに 通う人なき 五月雨の頃
衣笠内大臣
境内の様子
【手水舎】
【式内 高瀬神社・高瀬川跡 案内板】
式内 高瀬神社・高瀬川跡
平成二年三月 守口市教育委員会
この神社は、延喜五年(九〇五)から延長五年(九二七)にかけ作成された延喜式神名帳に記載されている由緒ある古社であります。
祭神は天御中主命で、旧の世木・馬場村の氏神であります。
天正年間(一五七三~九二)に織田・三好の兵火で社殿は焼かれたものの、その後再建され、江戸中期に建てられたのが現在の社殿であります。
江戸時代には、神殿その他すべて備わった大社で八幡宮とも呼ばれていました。
また、平安時代この付近には高瀬川が流れており、この高瀬川は古歌に数多く歌われ、特に「高瀬の里」「高瀬の淀」は有名な歌枕となりました。
現在、南側のロータリーに「高瀬川跡」碑が建てられています。
【守口市保存樹林案内板】
砲弾の詳細は不明。
大きい砲弾/径:302ミリ、長:1300ミリ
小さい砲弾/径:147ミリ、長:540ミリ
大きい砲弾裏側に、
「昭和十一年吉日 陸軍造兵廠満期退職記念」とある
高瀬神社 社殿
【狛犬 阿形】
【狛犬 吽形】
【社殿】
戦国時代の元亀天正年間の織田・三好の兵火で焼失、その後衰徹したが、祭祀は続けられ、江戸時代中期、貞亨四年(一六八七年)拝殿は文化十年(一八一三年)に再興される。現在の社殿はこの時のもの。江戸時代には、大きな規模を誇る大社で、“八幡宮”とも呼ばれていました。
境内社 楠木稲荷神社
本殿の左奥に楠木稲荷神社があります。
ご利益は商売繁盛・五穀豊穣。
【裏手の出入り口】
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