鎮座地は大阪市中央区神崎町の南大江公園内の西側です。狸坂というのは、昔、大江公園から南西の場所に「狸坂」という坂がありました。
狸を地神として祀る神社です。
この神社についての由緒等は不詳ですが、お社の横に「朝日神明社跡(坂口王子伝承地)」の石標があります。
朝日神明社跡の説明板によると朝日神明社は、天慶年間に平貞盛が創建。天照皇大神と倭比売命を祭神。朝日の社名は祭神の天照皇大神にちなむとも、社殿が東面していたためとも考えらてているそうです。熊野王子のひとつの坂口王子の伝承地で、当社は逆櫓社(さかろのやしろ)とも称されましたが、これは源平合戦の際に、源義経と梶原景時が櫓のつけ方について論争したことに由来するそうです。江戸時代の難波二十二社巡りのうち一社で、明治43年3月までこの神崎町に鎮座していましたが、現在は此花区春日出中に朝日神明社に移座し、現在、こちらには狸坂大明神が鎮座しています。
【神社名】
狸坂大明神
【鎮座地】
〒540-0016 大阪府大阪市中央区神崎町11(南大江公園内)
【御祭神】
狸
【御利益】
火災封じ
路線経路と周辺マップ

狸坂大明神の入口
狸坂大明神は南大江公園内の西側に鎮座します。

【朝日神社跡 石標】


【朝日神社跡 解説板】

朝日神明社跡(坂口王子伝承地)
大阪市教育委員会
朝日神明社は、天慶年間(九三八~九四七)に平貞盛が創建したという。天照皇大神と倭比売命を祭神とし、朝日の社名は祭神の天照皇大神にちなむとも、社殿が東面していたためとも考えられている。
熊野王子のひとつの坂口王子の伝承地である。当社は逆櫓社とも称されたが、これは源平合戦の際に、源義経と梶原景時が櫓のつけ方について論争したことに由来する。江戸時代の難波二二社巡りのうちの一社である。明治四〇
年(一九〇七)三月までこの神崎町に鎮座していたが、現在は此花区春日出中に移座している。旧地には狸坂大明神が鎮座している。
【鳥居】


【お社】


Googleマップ 狸坂大明神


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