醍醐天皇延喜十八年(九一八年) に創建されたと伝えられる。素戔鳴大神・賀茂別雷神を御祭神として祀られています。
社記によると、もとは天道神・太歳神齢殺神また素戔鳴尊。三輪明神・清瀧明神・日吉権現・新羅明神・三井神が淀川流域の守護神として祀られていたようです。
いづれも淀川流域の守護神としてこの地に土を居いて御祀りしたのが始まりと伝えられている。
「土居」とは「土を盛り上げた土手」を意味し、淀川の土手に由来しており、昔は、土居神社と呼ばれていたようです。
賀茂別雷神とは
賀茂別雷神社(上賀茂神社)の祭神。各地の加茂神社(賀茂神社・鴨神社)で祀られる神様。 古事記、日本書紀には登場しません。雷神・治水神の神格を持ち、平安京の守護神とされます。
周辺マップと路線経路
守居神社へはポポラーレ土居から
京阪土居駅を出てすぐの「ポポラーレ土居」。商店街に入ってしばらく歩くと境内入口。
アーケードを進むと境内入口が現れる。
守居神社入口の様子
【鳥居】
【社号標】
【手水舎】
【守居神社略記】
【守居神社 由緒書】
守居神社
昭和六十三年三月 守口市教育委員会
この神社は、社記によると延喜十八年(九一八)淀川洪水の時、西南石礫の渕で、我天道神也。我を祀れと振鈴の声で告げがあったので「土を居いて」お祀りしたのが始まりと伝えられ、祭神は、素盞嗚尊(牛頭天皇)で三輪明神・日吉権現・新羅明神とも記されています。社名は守口と土居の各一文字を用いて守居と呼称されています。
当社には、昭和五十六年大阪府指定有形文化財となった「守居神社社刀一口」があります。この刀は茎(中子)に「備中守橘康廣」の銘があり、刀匠の一派である近江石堂派のわかれで、江戸時代の寛文年間(一六六一~一六七二)ごろ大阪に出て作刀し、大阪石堂派の祖となった康廣の遺品であります。刃文は焼幅の広い丁字乱れが特色で、康廣の代表作の一つに数えられています。
【参道】
参道入ってすぐの狛犬。
【狛犬 阿形】
【狛犬 吽形】
【注連石】
注連石の手前にも狛犬
【狛犬 阿形】
【狛犬 吽形】
守居神社 社殿
拝殿前の狛犬
【狛犬 阿形】
【狛犬 吽形】
【社殿】
社殿前に額。
【拝殿】
【本殿】
此の恵比須神像
ガラスの反射で分かりにくいですが、恵比寿像です。淡路島の民家に百数十年間祀られていたものだとか。
【神馬】
【社務所】
境内社 稲荷神社
守居神社の境内にある稲荷神社。
アーチをくぐる。
【鳥居】
【お社】
境内社 塞神社
守居神社の境内にある塞神社。
【御祭神】
塞の神
塞の神は道祖神ともいい、 村や集落の境、峠などに祀られ、村に入ろうとする悪霊や疫病を退け、旅人など道往く人々を災いから守ってくれる神様。
塞の神は古代信仰にあるとも言われ、
生殖器の形をした石などを祀って子孫繁栄、豊作を願いました。
塞とは「塞ぐ」という意味ですが、伊邪那岐が黄泉国から地上に帰る時に、伊邪那美は醜い姿を見られ激怒して追いかけますが、逃げる伊邪那岐は大岩で、黄泉国の出口を塞ぎ、逃げ切ることができました。
その大岩が塞の神であるとされています。
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