寝屋川市高宮には、高宮神社と大杜御祖神社の二つの神社があり、両社とも延喜式内社で、かつ親子関係の神社との事です。
創建の年月は不詳。もとは若宮神社と呼ばれていた。
御祭神は『先代旧事本紀』(平安時代)に高宮神主たちの祖先と記載されている天剛風命。大杜御祖神社の御祭神、天萬魂命の子神にあたります。
江戸時代には、旧讃良郡内の一番の大宮として「一の宮」とも呼ばれていました。

先代旧事本紀とは、日本の史書であり、神道における神典である。『旧事紀』あるいは『旧事本紀』ともいう。
平安初期に編纂されたと推定される歴史書。本書の序には、620年聖徳太子、蘇我馬子らの撰録するところと記すが、『古事記』『日本書紀』『古語拾遺』などからの引用があるので、本書は807年以後に成立したもの。ただし本書の内容から推して、その成立は平安初期であることは確実。
【神社名】
高宮神社
【御祭神】
天剛風命
【鎮座地】
〒572-0806
大阪府寝屋川市高宮2-11-6
【祭日】
十月十七日

高宮神社周辺マップと経路

入口~境内
古い民家が建ち並ぶ河内街道沿いに入口がある。

【手水舎】

【鳥居】

【寝屋川市案内板】

高宮には、ここ高宮神社と南東三〇〇メートルに鎮座する大杜御祖神社の二つの神社があり、両者も延喜式内社、かつ親子関係の神社です。一つの村の中でのこのような類例は稀有のものといえます。
寝屋川市
祭神は。「先代旧事本紀」(平安時代)に、高宮神主たちの祖先と記載されている天剛風命で、大杜御祖神社の祭神、天萬魂命の子神にあたります。
江戸時代には、旧讃良郡内の一番の大宮として「一の宮」とも呼ばれていました。
社殿(拝殿)

【拝殿内】

御祭神は『先代旧事本紀』(平安時代)に高宮神主たちの祖先と記載されている天剛風命です。



【本殿】


高宮神社周辺の様子



本殿の裏手から撮影。


高宮神社の木々




古い(いい意味で)民家の中にあり、摂社、末社も無い小さな神社です。手入れが行き届き、空気感が良く気持ちの良い神社でした。

秋玄寺
高宮神社から歩いて20秒ほどの場所に秋玄寺がある。


寝屋川市指定文化財 秋玄寺十三仏板碑があるそうです。中に入っていいのかわからなかったので写真はなしです。



豊野村役場跡
高宮神社から歩いてまぁまぁの場所に豊野村役場跡がある(解説サインのみ)。

豊野村役場跡
寝屋川市
かつて、この地に豊野村役場がありました。豊野村は、町村制が施行された明治二十二年(一八八九年)四月一日、国松村・秦村・太秦村・高宮村・小路村の五か村が合併して成立しました。村役場は太秦におかれ、当時の人口は、一六四三人(国松一五八人・秦四四三人・太秦三四九人・高宮四七八人・小路二一五人)と記録されています。村名の豊野の由来は、「豊穣の沃野」(みのり豊かな土地)を意味しています。
豊野村は、もともも讃良郡に属していましたが、明治二十九年(一八九六年)、讃良郡・茨田郡・交野郡が合併した北河内郡の成立に伴ない、北河内郡に属するようになりました。
そして昭和十八年(一九四三年)四月一日、豊野村・九個荘町(大字池田、葛原、大利、高柳、神田、対馬江、仁和寺、黒原、点野)・友呂岐村(大字郡、三井、田井、木屋、太間、石津、平池)・寝屋川村(大字木田、萱島流作新田、堀溝、河北)が合併して町制施行に伴い寝屋川町が成立し、昭和二十六年(一九五一年)五月三日、市制施行により寝屋川市が誕生しました。また、昭和三十六年(一九六一年)六月二十八日、水本村(大字寝屋、打上、燈油)を編入して現在の寝屋川市になりました。
サインの裏に立派な木が立っている。豊野村役場の頃から立っていたのかな。


Googleマップ高宮神社(讃良郡一の宮)
髙宮神社(讃良郡一の宮) 072-822-2158


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