桓武天皇の時代からの由緒や歴史があり、小高い丘に鎮座する。
枚方市 走谷 加茂健豆美命神社(かもたけずみのみことじんじゃ)

大阪の神社

創建年月は不詳。加茂健美命神社の案内によれば、桓武天皇かんむてんのうの勅命により和気清磨呂公わけのきよまろが、この地を河内の一の宮として、『賀茂の大神』を祭られたのが始まり。
応仁元年(一四六七年)に応仁の乱が起こり、兵火にかかり一切の財宝焼失し、今に残れるものはない。
加茂神社は、これより百六十余年を経て、寛永六年(一六二九)に産土神として再建され、明治五年、蹉跎神社さだじんじゃに合祀、明治十五年に現在地に復社し、今日に至るとの事です。

桓武天皇(かんむてんのう)
日本の第50代天皇、平城京から長岡京および平安京への遷都を行った。
(737年~806年)

和気清麻呂(わけのきよまろ)は、奈良時代末期から平安時代初期にかけての貴族。

加茂健豆美命神社の基本情報

【神社名】
加茂健豆美命神社かもたけずみのみことじんじゃ加茂神社かもじんじゃ

【鎮座地】
〒573-0063
大阪府枚方市走谷おおさかふひらかたしはしりだに1-17-2

【御祭神】
加茂健豆美命かもたけずみのみこと

【御利益】
家内安全・夫婦和合・縁結び

【境内社】
金毘羅神社こんぴらじんじゃ 御手洗神社みたらいじんじゃ

【祭日】
春祭   四月十五日
例大祭  十月十五日

周辺マップと路線経路

画像出典:© OpenStreetMap contributors

加茂健豆美命神社 入口

【入口】

入口は急勾配の坂を登った所にあります。

【社号標】

社号標には「加茂神社」と書かれているが、正式名は『加茂健豆美命神社』のようです。

【鳥居】

【再興記念碑】

【手水舎】

【加茂健豆美命神社 案内板】

当社は、人皇五十代桓武天皇の御代、勅命により和気清磨呂公、この地を河内の一の宮として、『賀茂の大神』を斎き祭れるがその始めなりという。古き史を繙けば、祭神『賀茂の大神』は、神武天皇、国を建つるにあたり、畿内の豪族として大功をたて、山城の国を賜るや、民生の安定に貢献、ために『賀茂御祖の大神』として奉祭さる。今の京都『下鴨神社』これなり。御分霊を当地に迎えるにあたり、賀茂の社家の人々多く移り住み、堂山に三千坪の神域を開き、その中腹に広壮な社殿を造営せり。丘の下を走井といい、今の走谷これなり。近くに清冽な御手洗川あり。社参の人々この川にて禊し、敬神の誠を捧げしという。しかるに約六百七十余年を経て応仁の乱起こり、惜しくも兵火にかかり一切の財宝焼失し、今に残れるものなしと言う。されども今日、走谷に宮の上・宮の下・大門前・堂前等の地名が残れるは、往時の隆盛を窺うに足るというべきか。わが『加茂神社』は、これより百六十余年を経て、寛永六年に『産土神』として再建され、氏子の年長者が『一老』と言いて神主となり、氏人が祭員となりて春秋の祭典を執行せり。明治五年『蹉だ神社』に合祀、同十二年、現在地に復社し今日に至る。明治三十九年、加茂の森の浄財をもって拝殿を、昭和三十九年、社務所を新築、昭和四十九年、本殿を改築せり。境内に『御手洗・琴平』の小祀あり。神と人相和し、神霊に仕えるはわが民族の卓越せる資質にして、わが走谷も千百余年にわたりて、『賀茂の大神』を奉祭す。特に『加茂の大神』は家内安全。夫婦和合。縁結びに霊験あらたかなれば、春秋の祭りを始め、初宮参り等などの祭りを怠りなく務め、神霊の加護にあずからんことを。

境内案内板より

加茂健豆美命神社 社殿

【狛犬 阿形】

【狛犬 吽形】

【社殿】

【額】

ここも加茂神社とある。

【拝殿内】

【本殿】

境内社 御手洗神社

【狛犬 阿形】

【狛犬 吽形】

【お社】

境内社 金毘羅神社

【お社】

加茂神社境内 皇祖遥拝所

境内の様子

木々

加茂健豆美命神社Googleマップ

加茂健豆美命神社(加茂神社) 072-831-1550
加茂健豆美命神社(加茂神社) · 〒573-0063 大阪府枚方市走谷1丁目17−2
★★★★☆ · 神社

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