天乃神社の境外摂社、市杵島神社。大枝神社も近くにある。貞享四年(一六八七年)に牧野越中守より御祭神市杵嶋姫神を下賜され天乃神社に合祀せられた。
御祭神はその後、正徳二年(一七一二年)に摂社厳島神社(現市杵嶋神社)として遷座せられると。
戦後、御祭神の市杵嶋姫神の名を取り市杵嶋神社と記載されることとなる。戦前までは、橋波の「弁天さん」、「いちきねさん」と親しまれた。
市杵島神社、市杵島姫神社とは、宗像三女神の市杵島姫神を主祭神とする神社。
市杵島姫神は仏教の弁才天と習合したことから、通称で弁才天(弁財天、弁天)と呼ばれている神社が多く、また社寺の境内に末社として祀られる場合も多い。
天孫降臨にあたり、三女神は瓊瓊杵尊を無事に見届けたという神話の伝承から、子供の守護神(子供神社)として祀ることもある。
周辺マップと路線経路
入口
民家の間に参道がある。
神社境内も民家に囲まれている。
【鳥居】
【社号標】
【由緒】
由緒 案内板
東山天皇の御宇(西暦一六八七年)貞享四年丁卯八月朔日牧野越中守より御祭神市杵島姫神を下賜せられ、当天乃神社に合祀せらる。
其の後、中御門天皇の御宇(西暦一七一二)正徳二年壬辰八月、故あって当社に遷座せられる。以後此方御宮極めて御質素なるが郷土の鎮守として御神霊を
顕し住民の信仰を高め遥か地方の人々よりも深く御崇敬せられ又は安産の神様として特に女人の祈願多く霊験の真に顕著なりし申し伝えられる。
之れ乃ち大古にして既に男女自由平等の護権を尚し、福徳円満商売繁昌の理は即ち家庭にあり、女人こそ聡明にして殊に強くあるべしと宇宙倫理の大木を示す。
そもそも弁財天とは俗に弁天様と愛敬せられ大自在天にて天宮では大日須弥上では弁財、一界では天照大神と顕れ給い曼荼羅の八葉の中にあり、四仏四菩薩中央大日の九尊を以て九生如来と云い、九生如来の御再誕なりとも申される。
延寿、財宝弁財、福地増益、無盡の大慧、天災地変を除滅し、技術を解し諸々の技芸に通達、病疫退散、子孫繁栄総ての宇宙の煩悩を導き慈悲をたれたまい開運の神様として二千年の昔より朝野の信仰を深く納め参らせ奉る次第なり。
【手水舎】
【境内にある古い狛犬】
市杵島神社 社殿
【社殿前の狛犬】
【社殿】
【拝殿内】
稲荷社 金高大明神
市杵島神社の右側にある。
河原町児童公園のアカメヤナギ
京阪守口市駅に向かう途中にあった。
河原町児童公園
樹木名『アカメヤナギ』ヤナギ科
日本全国に分布するヤナギ科の巨木は116本あり、その内、関東以西に40本あるヤナギの中でわずか8本がアカメヤナギであり、この守口市河原町に現存する樹木は希少価値といえます。
この土地周辺の方々から当時の記憶に残る樹姿が印象的であったとも伝えられております。
本樹『アカメヤナギ』の樹齢推定130年で全体的に丸みを帯びた形を成し樹高10mに対し枝張り12~13mと広く、ごく自然に良い条件下でゆっくりとした生長が見られます。
特徴は初夏のころ、若葉が紅色を帯びるので『アカメヤナギ』といい、成葉は幅広でマルバヤナギとも呼ばれています。
この希少なアカメヤナギを守口市内の河原町で大切に育てましょう。
京阪電鉄守口車庫・工場跡の碑
守口市駅すぐにある。
京阪電鉄守口車庫・工場跡の碑
京阪電鉄守口車庫・工場跡の碑より
いま京阪百貨店及びトークティ守口が建つこの地は、京阪電鉄の守口車庫・工場のあった所で、約48.000㎡の面積をもっていました。守口車庫・工場は大正7年3月に建設、昭和47年2月寝屋川に移設されるまで半世紀にわたり京阪線の列車基地として重要な役割を果たして来たのであります。
この地に守口市駅前の都市再開発事業が昭和52年に施行されるに及び所有地の大半を提供しましたが、昭和60年10月事業が完成し、再びこの地が脚光を浴びるようになりました。
この地が永遠に栄えることを記念して碑文に刻む次第であります。
昭和60年10月
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