津嶋部神社は、今よりおよそ千二百年前もの遠い昔から当地の氏神様で、延喜式内の古社です。
寛永十年(一六三三年)淀城主永井信濃守尚政がこの地を領するに及び菅公を合祀し神領五百石(一七八五二平方米)を寄進して大宮八幡宮と称し、あつく崇敬せられました。
氏地は現在の守口市と寝屋川市の両市に亘り、境内地は今より拡大にして古松老楠生繁る。
元和元年(一六一五年)五月、大阪夏の陣の兵火のため惜しくも炎上し、天保七年(一八三六年)壮大な規模をもって社殿を復興しました。
現在の社殿は、明治十五年(一八八二年)に造営。同年十月盛大な正遷宮がおこなわれました。
その後、総瓦屋根であった社殿を、昭和五十九年十月総銅板葺に葺替え現在に至ります。
境内に皇太神宮、白龍稲荷社、若宮天満宮、厳島神社、山王神社などを祀る。
延喜式神名帳は、延長五年(九二七年)にまとめられた『延喜式』の巻九・十のことで、当時「官幣社」に指定されていた全国の神社一覧。
周辺マップと路線経路
入口
【社号標と鳥居】
【鳥居】
【式内 津嶋部神社立札】
津嶋部神社案内より
この神社は、延喜五年(九〇五)から延長五年(九二七)にかけ作成された延喜式神名帳に記載されている茨田郡五座の一つとして由緒ある神社であります。
祭神は、津嶋女大神、素盞嗚尊、菅原道真公でもと大窪庄の金田村、北村、梶村、東村、藤田村の五か村と、現寝屋川市に属する黒原村、対馬江村の計七か村の氏神であります。
元和元年(一六一五)五月大坂夏の陣の兵火で社殿が炎上したと伝えられ、その後幾多の再興が行われてきましたが、元禄年間(一六八八~七〇四)に再建された社殿は、現在の社殿と同規模で、当地方においては最大規模を有しており、当時の隆盛がうかがえます。
【手水舎】
【参道】
【神牛舎】
穏やかな雰囲気ウシ
社殿
【狛犬 阿形】
【狛犬 吽形】
【本殿】
【拝殿内】
【本殿】
末社
【皇太神宮】
天照皇大宮とある。
【白龍稲荷大神】
【若宮天満宮】
【山王戎神社】
【厳島神社】
津嶋部神社の樹木
【保存樹林等指定標識】
津嶋部神社
案内板より
この樹林は、津嶋部神社の社叢林として、受け継がれてきた貴重な樹林です。
ケヤキ、クスノキ、イチョウなどの大木で構成され、モミジやウメツバキなど、趣ある樹種が印象的な樹林となっています。樹林の中で、古いものになると、樹齢400年を超えると推測されるクスノキなどがあります。
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