JR学研都市線、住道駅から徒歩20分ほどの東大阪市加納の古い家並みの中に鎮座されます。
当社の創建、由緒は詳らかでありませんが、『延喜式』にのせられている古社です。
古くは神社の北に河内湖が広がっていて、湖の水面が波浪のように動いている様子から 「宇波」という名前がつけられたとの事です。神社は周辺より少し小高くなった場所なので、白肩(しらかた)の津と呼ばれ、船が留まる深さを持っていたそうです。加納の北西部に小字名がシカタと云うのがあることから波打ち際にお祀りされた神社であったようです。
また「加納」の地名由来は新しく田畑がつくられ、その農作物に税金がかけられたことのようです。
お祀りされている神様は埴安姫命とされています。 埴とは土のことで農業をするためには大事な土の神様です。
【神社名】
宇波神社
【鎮座地】
〒578-0901
大阪府東大阪市加納2-19-26
【御祭神】
埴安比売命
周辺マップと路線経路

宇波神社の入口
加納一丁目付近。山車格納庫がある。

山車格納庫横の道から宇波神社へ向かう。


鳥居が二ヶ所あります。右の鳥居は社務所となっています。

【宇波神社 由来】

明治八年四月二十七日
平成七年五月二十八日 佐和靖石書
宇婆神社
明治八年四月二十八日
宇波神社
六郷八字加納延喜式内の神社にして埴安姫命祀る
社域 弐百六拾八坪 周囲に土塀を繞らせり
社殿は南面すーに天王と称せり
日本書紀
孝元天皇妃河内青王繋女
埴安媛 生武埴安彦を祀る
従三位と記せり
大阪府全誌
宇波神社は北方瓦口にあり延喜式内の神社にして埴安姫命を祀れり今は熊野と称す 創建の年代は詳ならず河内国内神名帳には神位を従三位と記せり 明治五年村社に列せられる。
境内は弐百参拾八坪を有し本殿の外に拝殿神饌所を存す末社には芳の神社水分神社を有す民地は本地一圓にして祭日は十月十六日なり。
宇波神社の伝説
宇波神社は明治の八年まで宇婆神社の称号で祭祀されていました。
宇は宇宙の宇であり、空を指しています。空は物理的にも真理学的にもはかり知れない大自然の神秘です。婆は娑婆の姿であり、世の中又は社会を指しています。仏語では忍土堪忍土忍界と漢訳されたものです。又婆の一字は般若心経ではお釈迦様一代の経八万四千字の中より撰びいたされたる二百六十余文字の中の一字です。神前にて唱え奉れば宝の御経、 仏前にて唱え奉れば花の御経なりと言はれ神仏一体のいさせ給う真理の心経であります。
宇波神社は昔から門のある神社でした。
門のあるのも仏教的な影響を受けて祭祀されたと思はれますが、深い因縁があるのでしょう。
浄三業印明
身口意につくる所のもろもろの罪業を滅して清浄なることを得せしむる印明也
俺薩縛婆縛駄薩縛
達磨婆縛婆縛輸度吟
【宇波神社の秋祭り】
宇波神社の秋祭りには天狗が案内して獅子舞が各家々を回り、 家内安全を願ってお祓いをします。 獅子舞ば加納・川田・吉原地区の郷土芸能として貴重なもので保存会をつくって伝えられています。

宇波神社の祭神は埴安姫命で字瓦口に鎮座しています。延喜式内社で神名帳によれば従三位を授けられています。(大阪全誌) 神社の周辺は、まわりより少し小高くなった所で、古代は水辺であったようで、この附近を白肩の津と呼び、船が停まれるような深さをもっていた所であったようです。加納の北西部に小字名で「シカタ」という所があることからも推定されますが、波打ち際に祀られた神社であったようです。
案内板より
この神社では、秋祭りになると獅子舞が各家を回ります。
昭和45年頃までは、中地区の北部の各地で舞われていましたが、最近では、宇波神社に見られる郷土芸能として、貴重な伝統行事になりました。獅子舞は獅子の面の人と天狗の面をかぶり、ササラを持つ人が踊り、囃しは笛を使います。以前は十数種の踊りと吹き方を伝えていました。各家を訪ね五穀豊穣と家内安全を願って祓って歩くのです。
【家に訪れた天狗】
宇波神社の秋祭りには天狗が案内して獅子舞が各家々を回り、 家内安全を願ってお祓いをします。 獅子舞ば加納・川田・吉原地区の郷土芸能として貴重なもので保存会をつくって伝えられています。

【鳥居】

【社号標】

【神門】

境内の様子
【手水舎】

【宇龍王】
楠があり、根元に祠があり、こちらは「宇龍王」との事です。


札に「宇龍王」とあります。

【神武天皇遥拝所】
両脇の狛犬はフェンスで覆われています。苔の感じからかなり古い狛犬でしょうか。

神武天皇遥拝所と刻まれています。

【狛犬 阿方】

【狛犬 吽形】

宇波神社 社殿
【狛犬 阿形】

【狛犬 吽形】

【社殿】

【拝殿】

【社殿 本殿】
拝殿の後、覆屋になっており中に本殿が納められています。

【社殿前】

【神器庫】

宇波神社の樹木



宇波神社 社務所






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