御祭神は須佐之男尊。創建不詳です。豊臣秀吉が大阪城築城のとき、鬼門の治めとして、小さな社を建てたのがはじまり。
秀吉はこの付近を防衛線の一部として重視し、ここで街道(京街道)をわざと屈曲させ、軍兵の勢いを削いだという「七曲がり」が残っている。
周辺マップと路線経路
入口と鳥居
須佐之男尊神社(関目神社)
城東区役所
関目神社にはヤマタノオロチを退治した神様スサノオノミコトが祀られています。
須佐之男尊神社 通称 関目神社
関目神社由緒より
一、御祭神 須佐之男尊 境内社 毘沙門天王
一、由緒 当地の氏神様であります関目神社は天正八年豊臣秀吉が大阪城築城の際、防備の一策として関目より古市森小路の間十余町の道路を特に屈折させて(俗に七曲りという)敵兵の進軍を俯瞰し、その軍容兵数を察知するのに便利なようにした。これと同時に北の護りとして武神の須佐之男尊を祀り、崇敬すると共に、浪速の鬼門に当るので、鬼門鎮護の神として、毘沙門天王を勧請して小祠を建立したことに始まる。
一、 本殿 当社の本殿は流れ造りで昭和五十二年に再建。境内社である毘沙門天王社は昭和六十年に再建。また、関目神社氏子会館は平成十三年に新築。
境内の様子
手水舎
関目発祥の地の石碑
関目発祥の由来。石碑の上に小さな狛犬が。
この地はもと関目といい, 古くは榎並荘の時代から あったもので, 関目というのは, この地に見張所 (目で見る関所)があったことから起ったと言われる。 また, 関目の七曲りとして大坂城の防備に役立っ たという重要な地であった
関目発祥の由来石碑より
なおまた明治天皇御駐輦の地として親しまれてきた
拝殿
狛犬 阿形
狛犬 吽形
毘沙門天(びしゃもんてん)
【鳥居】
明治天皇御駐輦之跡碑(めいじてんのうごちゅうれんのあとひ)
慶応4年(1868)3月23日、明治天皇が関目を通り津村別院(北御堂)へ。その際に西井茶屋(城東区成育5丁目22)付近で休憩されました。これを記念し大正二年(1913)6月に碑を建立。碑は西井茶屋付近にありましたが現在は関目神社の境内に保存されています。
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