大阪市 城東区 野江水神社(のえすいじんじゃ)

大阪の神社

御祭神は水波女大神(みずはのめのおおかみ)。
一般には水神社(すいじんじゃ)・野江水神社(のえすいじんじゃ)と呼ばれている。
天文二年(一五三三年)三好政長が榎並城を築く際、たびたび水害を被ったので、水火除難の守護神として城内に小さい祠を造営し、祀ったのが起源といわれている。
 明治十八年(一八八五年)の大洪水で社殿が倒壊したため、明治二十一年(一八八八年)に現在の社殿に再建された。

野江水神社の基本情報

【神社名・別称】
野江水神社のえすいじんじゃ
野江神社のえじんじゃ

【鎮座地】
〒536-0006
大阪府大阪市城東区野江おおさかふおおさかしじょうとうくのえ4-1-39

【御祭神】
水波女大神みずはのめのおおかみ

周辺マップと路線経路

画像出典:© OpenStreetMap contributors

入口と由緒

【由緒】

御由緒
水波女大神(みずはのめのおおかみ)
昔このあたりは土地が低く、再々水害を被むる事がありました。そこで水難からのがれようとして水の神様がおまつりされました。
天文二年(一五三三年)三好宗三(政長)が、この附近に榎並築城の際、水害を被むったので水火除難の守護神として城内に社を建て篤くまつられたのが現在の社殿の位置と言われています。
天正十一年(一五八三年)豊臣秀吉も大阪築城に際し、水火除難の守護神として近郷の諸社中最も崇敬篤く、社殿を修築し幣帛を奉り、国家泰平を祈願いたしました。
元禄十六年(一七〇二年)の大洪水では、一面水海と化し住民がことごとく困窮の日を重ねていた時に快晴の祈願をしたところ、雨がやみ洪水は減退したと伝えられています。
享和二年(一八〇三年)の大洪水にも当神社は無事であったことを榎並八箇洪水記の中に絵で記録されています。
現今の社殿は明治十六年(一八八三年)の造営後度々修築を加え今日に至ります。
昭和五十三年 NHK教育テレビ「生活の中の日本史」で全国に放映され話題になりました。
天にあっては太陽の光、地にあっては雨、水の恵みがあればこそ生命があり生活があるのです。この万物生成の根本を主宰されているのが当神社の御祭神です。

案内板より

【参道】

【御神木】

【手水】

【遥拝所】

【日支事変 大東亜戦争 慰霊塔】

この地域から日中戦争、太平洋戦争に兵隊として出征され、亡くなられた方の慰霊の碑との事です。

【手水舎】

本殿

【狛犬】

南側の入口

こちらにも狛犬がいる。

野江稲荷大明神

本殿の南側にある稲荷社。

【日露戦勝記念碑】
日露戦争の勝利を記念して建立されたものなのかな。

本殿を横から撮影。

こちらは裏参道。本殿裏側が見える。

Googleマップ野江水神社

野江水神社
https://maps.app.goo.gl/jUJTcey3dKDCHZpA8

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