大阪府東大阪市菱江、八尾枚方線から少し東に鎮座する式内社です。
創建・由緒は明かありませんが、中臣系の氏族である「中村氏」が祖神を祀ったの神社と考えられています。
現在の御祭神「己己都牟須比命」は中臣氏の祖神「天兒屋根命」の父親にあたる神です。しかし江戸時代の多くの資料では祭神を不詳としており、古くから一貫して同神が祀られていたわけではないとのことです。
仲村神社は疱瘡(天然痘)の神としても広く知られていたようで、祈願の際は大和川(付け替え後は境内の菱澤池)で禊をし、社殿の雨垂れの砂を袋に入れてお守りにしたと言われています。
江戸時代には淡路島の人が疱瘡治癒を祈願し、無事完治したために元文三年(1739年)に朱鳥居が奉納されたと伝えられています。また大阪城代であった堀田正順が伝染病の流行を恐れて当社に祈願し、灯籠が奉納されています。
周辺マップと路線経路
仲村神社の入口
周りは工場や住宅になどがある場所に鎮座する。
【社号標】
【鳥居】
【社務所】
【二の鳥居】
鳥居をくぐり、右に曲がると注連柱と二の鳥居、朱鳥居が建っています。
江戸時代に淡路島の人が奉納した鳥居でしょうか。
【手水舎】
【菱江と仲村神社 案内板】
菱江と仲村神社
東大阪市教育委員会
東大阪市内には、菱江・若江など水辺を表す地名があります。古代に河内平野が大きな入江となり、その岸辺であることを示す名前なのでしょう。いつ頃からこの付近に人が住みはじめたかは不明ですが、玉串川が二つに分流する間にできた、少し高くなったところに住んだものと思われます。
仲村神社は貞観9年2月に官社になっており、若江郡の二十二座の一つです。祭神は己々都牟須比命としており、平安時代に編纂された「新選姓氏録」には、中村連の先祖とされています。このことから、枚岡神社を中心とする中臣氏は、河内平野にも進出していたであろうと推定されます。
また、「当社は疱瘡を病める者祈願すれば験ありと称し、参詣する者多し。(仲河内郡誌)」とあり、正徳四年(1714)阿波、淡路の領主蜂須賀家の家臣陶山与一左衛門長之・水谷平右衛門勝政より疱瘡全快の謝恩のため鳥居が寄進されています。伝承では、何か祈願をするときは、大和川(菱江川)に入り斎戒沐浴を行う川瀬の祓いを行います。そして、社殿の軒下の雨だれの砂を頂き、これを袋に入れて腰に下げてお守りとしたそうです。大和川が付け替えられてからは、境内の菱沢池で祓いを受けたのですが、その風習も大正時代にはなくなったそうです。
昭和62年4月 大阪玉川農業協同組合
切り株にトトロが描かれている。
こんなのもある。
仲村神社 社殿
【狛犬 阿形】
【狛犬 吽形】
【仲村神社略記 案内板】
仲村神社略記《延喜式内社》
案内板より
御祭神 己己都牟須比命(興台産霊命)
「神撰姓氏録」によれば己己都牟須比命 天兒屋根命 藤原朝臣 大中臣朝臣
中村連
とあり、奈良の春日大社、河内の枚岡神社の御祭神『天兒屋根命』の親神様『己己都牟須比命』を祭祀奉る神社であります。
御神徳
《病気平癒》《家内安全》《事業繁栄》《交通安全》《学業成就》《厄除け》《良縁結び》
御由緒
当社は延喜式内社と申しまして、延長五年(九二七)に完成した『延喜式』五十巻(醍醐天皇)の巻第九神名帳に『河内の国、若江郡、中村神社』とあるが如く千年を越える古い歴史を持ち、その創立は当社の御祭神より分かれた藤原氏、中臣氏と並ぶ≪中村連氏族≫によって氏神と奉斎せられたことに始まり、近世には『菱江村』の氏神様となり、当時流行していた疱瘡(天然痘)の病魔退散の神として又、神体健康、家内安全を守る神として近郷近在は勿論、遠くは京都、阿波の徳島、淡路の庶民より崇敬され、上は朝廷藩主の信仰にも摂氏、その霊験も大なるものがあった。その証として淡路洲本の住人、陶山与一左衛門長之が病気平癒を祈願して後、目出度く完治した事を感謝して寄進した朱塗りの鳥居一基(元文三年、一七三九)又、寛政四年(一七九二)には、大坂城代であった紀朝臣正順(堀田正順)が伝染病の流行を恐れて、大阪庶民のために当社に祈願し、その謝恩として寄進したとされる石灯籠一対が、境内に現存し当時の信仰を現代に伝えている。
夏祭 七月二十五日
秋祭 十月十六日
月次祭 毎月一日、十五日
末社 琴平神社 御祭神 琴平大神
菱江稲荷神社 御祭神 宇賀御魂大神
【社殿】
【拝殿内】
【本殿】
境内社 菱江稲荷大明神
菱澤池(ひしさわいけ)
菱澤池
改修平成9年7月吉日
本社は、往古より疱瘡除けの神として中河内郡誌にも「疱瘡を病めるもの祈れば験ありと称して参詣するもの多し」とあり江戸時代には信仰を集めました。その祈願をするとき必ず禊ぎをしたと言ふ、大和川に入り斎戎沐浴を行いそのうえ川瀬祓を行った。そして社殿の軒下の雨垂れの砂を頂きこれを袋に人れて腰に下げお守りとした。ところが、大和川が付け替えられて流れが少なくなり、その後は境内に現存の池「菱澤池)に入り禊をして沢辺祓を奉仕したとされる。
しかしながら時代の変遷により環境も著しく変わり池の水位も漏水により保存困難となり、かって先人が郷土の発展の為に歴史の上に築かれたものであり五殻豊穣、家内安全を祈願されたものです。
菱澤池があり池の前には境内社として「水神」祀られています。
疱瘡治癒の祈願の際はかつて近くを流れていた大和川に入り禊を行っていました。大和川の付け替え後はこの菱澤池で禊を行ったと伝えられています。
今はその風習はなくなり、池もコンクリートで固め、水もありません。
境内社 水神
境内社 竜神 空八竜王
境内社 琴平宮
境内社 歯大神
かわいい狛犬が。
【神輿庫】
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