大東市に3ヶ所ある菅原神社。そのうちの三箇にある菅原神社。他には御領と深野北がある。創建年代は不明。1679年の三箇村検地帳には氏神天満宮の名で記されています。
境内西側には、かつて水月院という宇治興聖寺の末寺があり神仏習合の様相が見られた。
【神社名】
三箇菅原神社
【鎮座地】
〒574-0077大阪府大東市三箇5-2-3
【御祭神】
菅原道真公
【境内末社】
稲荷神社 御祭神 三徳大明神 菅納大神
錦竜権現 御祭神 錦竜権現
【ご利益】
学業・受験合格・病気平癒・五穀豊穣・商売繁盛
【社格】
旧村社
【例祭】
十月十九日 – 十月二十日
周辺マップと経路
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三箇菅原神社入口
【鳥居】
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【菅原神社(三箇)案内板】
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祭神は、天満大自在天神の称号を授与された菅原道真公である。大祭は十月十九日、二十日。 社地内には稲荷社が鎮座する。天神さんもお稲荷さんも、稲作を中心とする五穀豊穣の神である。
大東市教育委員会
住道地区の氏神で、延宝七年(1679)「三箇村検知帳」には、「氏神天満宮」と記され、 境内地十八歩の年貢が免除されていた。
また江戸中期頃の当社は梁間五尺五寸、桁行一間二尺の社殿を持ち、 西の隣接地には曹洞宗宇治興聖寺末・水月院があった。 現在も墓石が残存し、江戸時代までの神仏習合の面影を残している。 社宝として神刀がまつられる。これは神威の高揚を願って、宝永年間の氏子たちが奉献したものである。 相州綱廣の銘あり。
往時の秋祭りには西の口、江の口南、江の口北、大箇、下野、押廻からの地車 計六台が引き出され社頭に並んだ。 この宮入の順番は十八日くじ引きで決められる。
また当地は十六世紀半ば頃飯盛城の支城・三箇城のあったところとされている。 城主三箇殿は永禄五年キリシタンとなりサンチョと称す。 この時以来三箇の名は異国文書に登場する。 城の位置については諸説あって断定し難い。
なお、水月院跡には「城ハ灰 埋は土となるものを何を此代に思ひ残さん」 の辞世句を残す墓石も見いだされる。
平成五年十二月
【参道】
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【手水舎】
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三箇菅原神社 社殿
【狛犬 吽形】
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【狛犬 阿形】
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【絵馬】
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【本殿(拝殿)】
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大東市 保護樹木
保護樹木 クスノキ
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末社 錦竜権現
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末社 稲荷神社
三徳大明神 菅納大神
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曹洞宗宇治興聖寺末・水月院跡
西の隣接地には曹洞宗宇治興聖寺末・水月院があった。 現在も墓石が残存している。
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公園がある
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謎の社
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公園から撮影
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三箇城址の石碑
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神社入口近くの木の根に三箇城跡地石碑がある。
三箇城は、深野池の中にあった島に築城されたといわれ、戦国時代には飯盛山城の支城となっていました。
ただ正確な位置は特定されていないので、こちらも候補地の一つとの事です。
三箇菅原神社Googleマップ
指定した地点由緒
大阪府神社庁ホームページより
創立年代は不詳であるが、延宝七年(一六七九年)三箇村検地帳には氏神天神宮としるされ、境内地十八歩の年貢が免除されていた。また江戸中期頃の当社は梁間五尺五寸桁行一間二尺の社殿をもち、西の隣接地には曹洞宗宇治興聖寺末水月院があった。現在も墓石が残存し、江戸時代の神仏混合の面影を残している。社宝として神刀がまつられている。三箇は、元は深野池に浮かぶ島であったが大和川付替工事にあたり、川床となる田畑の代替として深野池の干拓が行われ、田地となった。この干拓中の宝永三年(一七〇六年)、灘工事の無事安全を祈願したところ、見事に完成したので感謝のきもちを込めて『相洲住綱廣(そうしゅうじゅうつなひろ)の名刀』(府文化財指)が奉納され、さらに五穀豊穣が祈願された。地元では「三箇(さんが)の宮さん」と呼ばれ親しまれている。天神さんは学問神さんであるが、境内に鎮座する三徳稲荷とともに、五穀豊穣の神様でもある。
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