仁徳天皇の時代、淀川の洪水を防ぐために造られた茨田堤の人柱伝承が残る。
寝屋川市 太間 太間天満宮(たいまてんまんぐう)

大阪の神社

創建年代等は不詳。寝屋川市は淀川沿いの太間町に鎮座する。この辺りは茨田堤の衫子断間のあった場所だといわれている。
その衫子断間の伝承の後、衫子をお祀りした小社を建てたのが始まりとの事。また衫子は、友呂岐神社の祭神になっている。
 

太間天満宮の基本情報

【神社名】
太間天満宮たいまじんじゃ

【御祭神】
菅原道真すがわらのみちざね茨田連衿子まむたのむらじのころものこ

【鎮座地】
〒572-0078大阪府寝屋川市太間町おおさかふねやがわしたいまちょう10

【御利益】
受験合格 ・学問上達・農業守護・病気平癒

太間天満宮周辺マップと路線経路

画像出典:© OpenStreetMap contributors



太間天満宮の入口

【社号標】

【鳥居】

衫子絶間跡ころもこのたいまあとの碑】

境内に建てられている「衫子絶間跡の碑」。「衫子の絶間」の伝説の紹介がされている。この碑は昭和五十八年に建立。実際の衫子絶間跡はここから四百メートル東へ行ったところと推定されているそうだ。

「衫子絶間(ころもこのたいま)跡」碑は、太間天満宮(太間町)の境内にあります。昭和58年に氏子たちが参道を造営寄進し、記念に建てました。
 仁徳天皇十一年の茨田堤築堤は大変な難工事でした。決壊して絶間と呼ばれる2箇所に神に捧げる人柱を立てることになり、茨田連衫子(まんだのむらじころもこ)ら2人が選ばれました。
 1人は人柱になりましたが、衫子は「本当の神ならこの瓢(ひさご)を沈めよ」と叫んで2個のヒョウタンを川に投げ入れ、どちらも沈まなかったため助かったと伝わります。
 とっさの機転で難を逃れた衫子は、太間天満宮や友呂岐神社の祭神になっています。衫子絶間は、太間天満宮の東400メートル辺りといわれます。

寝屋川市ホームページより

太間天満宮の社殿

【手水舎】

【狛犬 阿形】

【狛犬 形吽】

【社殿】

社殿周り

【ならぶ狛犬】

社殿の右側へ回り込むと何かいる。

前から見ると楽しそうに語らっているようだ。この狛犬を見たさに参拝しに訪れる方もいるんじゃないかな。

境内の裏手に公園&古い焼却炉。

太間天満宮の保存樹

【保存樹】

寝屋川市の保存樹 クス 樹齢200年。

寝屋川市の保存樹 エノキ 樹齢250年。

保存樹以外にも、樹木が育っている。

太間天満宮 Googleマップ

太間天満宮
太間天満宮 · 〒572-0078 大阪府寝屋川市10
★★★★☆ · 神社

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