東から南へかけて淀川が流れます。
大塚神社は大塚町に古くから鎮座する村社です。
建武2年(1335年)この大塚が大洪水に襲われた際、二柱の木像が流れ着きました。この二神を僧侶恵慶が祀ったのを由来とします。大塚神社の裏側(北側)に大塚殿小宮が鎮座されます。
元々は現在の位置より淀川べりに位置していましたが、昭和16年(1941年)淀川改修工事のため現在地に移転しました。1~2キロ離れた番田には大塚神社の分社、番田神社が鎮座されます。また北へ500mほどへ行くと都城神社があります。
周辺マップと路線経路
大塚神社 入口
民家に囲まれた場所に鎮座されます。
【大塚神社樹林保護地区】
【社号標】
【注連縄柱】
【社務所】
【慰霊碑】
【大塚氏子重物倉庫】
【大塚神社の由来】
大塚神社の由来
当神社は大塚に古くから鎮座する村社で祭神は高皇産霊神(たかみむずすひのかみ)と神皇産霊神(かみむすひのかみ)の二柱を祀る。建武二年(一三三五)五月、当地大洪水の際、二神の木像が流れ着き、これを僧侶恵慶(えけい)が祀ったことに始まる。
産霊(むすび)は天地万物を生み出す神であり「むすぶ」と いう言葉から、諸願成就・縁結び・五穀豊穣・合格祈願に霊験あらたかな神とされる。
なお、大塚神社は現在の場所より淀川べりに位置したが、昭和十六年(一九四二)の淀川改修工事のため、堤防が後退したのに伴い、現在の地に移転した。大塚の地名伝承
由来の石碑より
平安時代後期(九世紀中頃)、清和天皇が
皇子の陽成天皇に譲位した後、日本靖国を巡ったという。そして当地の「松ヶ崎」に立ち寄り、小松原で休憩をとり淀川の風景を楽しんだ。そのとき天皇は松の木に冠をかけたまま帰国され、気づいた村人はその王冠を埋めて「王塚」と名付けた。天皇の没後社殿を設けて青和天皇の霊を祀った。これが現在の大塚小神社「大塚殿」にあたる。
【鳥居】
鳥居前の狛犬。
【狛犬 阿形】
【狛犬 吽形】
【御祭神が刻まれた石碑】
【参道】
【手水舎】
【境内の様子】
末社 役行者尊
末社 稲蒼魂命
【狛狐】
【お社】
大塚神社 社殿
【狛犬 阿形】
【狛犬 吽形】
【社殿】
高皇産霊神、神皇産霊神の二柱が祀られています。創建は建武2年(1335年)です。
【拝殿】
龍の彫刻がかっこいい。
【本殿】
【北側の出入口】
社殿の右側の道から出て小さな道路を渡ると大塚殿小宮が鎮座されます。
【北側の出入り口(外側から)】
大塚殿小宮(おおつかでんしょうぐう)
大塚神社の裏側(北側)から道を渡ってすぐにあります。
【社号標】
【高槻 まちかど遺産】
高槻 まちかど遺産より
大塚の地名伝承・「大塚殿」
大塚には次のような伝承があります。「平安時代、清和上皇が諸国を巡られた際、当地で淀川の美しい風景に心を奪われ、松の木に掛けた冠を忘れたまま帰ってしまわれた。気づいた村人たちは恐縮し、冠を埋
めて「王塚」と名付けた。上皇の没後、塚に社殿を設け御霊を祀った。」 その社がこの大塚小神社「大塚殿」と伝わります。
大塚の地名は、この 「王塚」が転じたものともいわれています。
平成28年3月 高槻市教育委員会
【鳥居】
【手水舎】
【身変り地蔵尊】
大塚殿小宮 社殿
【狛犬 阿形】
【狛犬 吽形】
【社殿】
平安時代後期に清和天皇が当地の「松ケ崎」に立ち寄り、小松原で休憩をとり淀川の風景を楽しんだといいます。
そのとき天皇は松の木に冠をかけたまま帰国され、気づいた村人はその王冠を埋めて「王塚」と名付けました。天皇の没後、社殿を設けて清和天皇の霊を祀りました。これが現在大塚神社本殿裏手に位置する大塚小神社「大塚殿」にあたるということです。
【拝殿】
創建不明(平安時代後期)
社殿の裏側の様子。門があり、住宅地への出入り口。この時は閉まっていました。
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