高槻市 番田1丁目 番田神社(ばんだじんじゃ)

大阪の神社

南に淀川、西に芥川が東西へ流れる番田に鎮座されます。
案内板によると番田神社は北東へ1、2キロ離れた大塚神社の分社とのことです。
建武2年(1335年)5月に、大洪水があったとき「高皇産神」「神皇産霊神」の二神の木像が流れ着き、これを僧恵慶が勧請、奉じて、この地に祀ったのが創建の由来とされています。
また、古事記によると「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、天御中主神、次に高皇産神(天の父)、次に神皇産霊神(地の母)とある(造化三神)。」「産霊」の最初の神様で、ものごと成就・念願達成・縁結び・五穀豊穣・合格祈願等に御神徳、霊験のあらたかな神様です。

番田神社の基本情報

【神社名】
番田神社ばんだじんじゃ

【鎮座地】
〒569-0044
大阪府高槻市番田おおさかふたかつきしばんだ1丁目19

【御祭神】
神皇産霊神かむむすひのかみ 高皇産神たかみむすひのかみ

【ご利益】
ものごと成就・念願達成・縁結び・五穀豊穣・合格祈願等

周辺マップと路線経路

番田神社の入口

周りは畑や民家に囲まれています。

鳥居

由来 案内板

由来
番田神社
建武二年(1335年)五月、この地に大洪水があったとき「高皇産霊神たかみむすひのかみ」「神皇産霊神かむむすひのかみ」の二神の木像が流れ着き、これを僧恵慶えけいが勧請、奉じて、この地に祀ったのが創建の由来とされている。
また、古事記によると「天地あめつち初発はじめの時、高天原たかまがはらに成りませる神のみなは、天御中主神あめのみなかぬしのかみ、次に高皇産霊神たかみむすひのかみ(天の父)、次に神皇産霊神かむむむすひのかみ(地の母)とある(造化三神)。
産霊むすひ」の最初の神様で、ものごと成就・念願達成・縁結び・五穀豊穣・合格祈願等に「御神徳のあらたかな神様」である。
番田ばんだ神社は大塚神社の分社である。
番田村
大塚村の南西にあり 芥川最下流域左岸に位置する。
慶長十年(1605年)の摂津国絵図では大塚村に含まれ、正保三年(1646年) 大塚村から分村した(元禄元年「高槻御領分指し出し写し」より。)
享保二十年(1735年) 摂河泉石高調べでは高五十九石余、領主の変遷は高槻村に同じ。
元禄期(1688年~1704年)の状況と推定される本光院様御代御領分惣名寄では家教十三、人数六十一(高槻町誌)と記されている。
水利の便悪く、水害の多発した地域であった。
承応二年(1653年)完成した芥川の伏越大樋は大塚領だが番田大樋と名が付けられており、元禄六年に北部山麓の上田辺、真上、芥川、天神山一帯などの悪水を流下させるために開削された。
芥川左岸沿いの新川にも番田水路の名が付けられている。
これから「番田」は伝承にいう、往昔大陸調貢船の唐崎津入船の費用を賄うための役田「蕃田」に由来するのではなく、水利の「番」にちなむとも考えられる。
なお明治元年(1868年)5月の水害では番田堤が切れて、又大正六年(1917年)の淀川右岸「大塚切れ」で大塚、番田一帯が浸水した。
番田の地名伝承は「大阪府全誌」によれば「むかし大陸の調貢船(みつぎ物を運ぶ船)が唐崎の津に出入りしていたとき、その入津費用を賄うために置かれた役田の地で、これを「蕃田」といい、のちに番田となったとある。
唐崎の伝承との整合を図っているとはいえ、それがもともと根拠のうすいものであることから信憑性はかなりうすいといわれる。
では、この「番田」というのは何を指すのでしょうか、やはり惣の時代以来の「樋の番」「水の番」と考えるのが
一番妥当なようである。
干拓以来、大塚のかんがい悪水はここに集まり、自然堤防を越えて淀川に流されました。
生命線の水を守る人々の定着と、その役田と考えてもいいという説もある。
大塚村
淀川右岸に位置し、桧尾川右岸最下流域を占める。
西の村境は芥川南西にある枝郷番田村、東にある同大塚町と領域が錯綜する。村内に大塚と称する封土がある。
清和天皇が譲位の後、廻国したとき、当地字松ヶ崎の小松に駐し、淀川の光景をながめ、傍らの松木に冠を掛けたまま帰ってしまった。
人々はその王冠を埋め、院の死後社殿を設けて王塚と称したのを地名起源とする伝承がある。
また往古百済国の敬福が来朝して当地で亡くなったので、埋葬して封土をつくり王塚と称したともいう。
「摂津志」は大塚について大塚村「恵慶法師所謂冠大塚即是未詳誰氏、今祓除以為神幸之地」と記す。
また文明十五年九月十七日付の逆如消息(広島別院旧蔵文書)には「出口たちて、からさきの渡をして、かふり(冠) 大つかえゆきて」とあり、このころすでに蓮如の駐錫を迎える惣村の形成を思わせる。
これは後の「大塚衆」(私心記・永禄三年二月九日条)とよばれるものであろう。
近世には大塚庄の大部分を一村として大塚村が成立したと考えられ、慶長十年(1605年)の摂津国絵図には「大塚村」とみえ 高一千五百二石余て「小村六ツ有」と見える。
正保三年「番田村」を分村、天和三年「大塚町」を分村した(元禄元年「高槻御分領指し出し写し」 中村家文書)。

由来 案内板より

御祭神

保護樹林のクスノキ

手水

蓋がされているのが手水鉢?と蛇口。

番田神社 お社

屋根だけの覆屋、祠だけの構造です。

狛犬 阿形

狛犬 吽形

末社 稲荷社

左側にも祠があり、こちらは稲荷社(稲荷大神)です。

こちらも、屋根だけの覆屋、祠だけの構造です。

Googleマップ 番田神社

番田神社 · 〒569-0044 大阪府高槻市番田1丁目18
★★★☆☆ · 神社

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