若宮八幡大神宮は、大阪府大阪市城東区蒲生
に鎮座されます。南側には寝屋川が流れます。
地域では「若宮さん」「西向八幡」「蒲生の西向き八幡さん」と親しまれています。
創祀年代は不詳ですが、初めて浪速に都を定めた第16代仁徳天皇の仁政と遺徳を偲び、村民が神祠を勧請、創建したものと伝えられます。御祭神の仁徳天皇です。
蒲生は古来、寝屋川と鯰江川(現在は埋め立てられて道路になっています)が東西に流れているために低湿地が多く、昔は葦や蒲の穂が一面に茂っていたという。
また古街道が東西に貫通しており、水運の便もよく、浪速における庶民の生業の地として繁栄してきた。
周辺マップと路線経路
若宮八幡大神宮の入口
【神輿庫】
【鳥居】
【若宮八幡大神宮の由緒】
若宮八幡大神宮
由緒書きより
若宮八幡大神(わかみやはちまんおおかみ)《仁徳天皇》をまつりの森神とする神社で、創建年月は定かではありません。社地は、昔から村内の小さな丘にあって、楠や榎などの大木がうっそうと繁り、昼なお暗い感があったと伝えられています。中でも楠の老大樹は、明治十八年(一八八五)まで神木として崇敬されていました。
境内にあるクスノキやムクノキなど十一本の樹木が、平成九年十月三十一日大阪市保存樹林に指定されました。
大坂冬の陣のとき徳川方の佐竹義宜が境内に陣を張り、戦勝祈願したといわれています。
現在の社殿は昭和十二年に建立されたものです。
【由緒之碑】
大坂冬の陣の際、徳川方の佐竹義宜が境内に陣を張り、戦勝祈願したといわれています。また『難波戦記』によると、江戸時代初期の慶長19年(1614年)冬、鴫野・京橋口の戦いに徳川方の佐竹義宣が豊臣方の木村長門守と戦ったが、佐竹側の本陣が当社にあった。
その際、佐竹側の軍兵が境内の楠の大木を切り倒して篝火の材料としたので、戦後佐竹家より贖罪のために矢を献納された。
その矢は、明治18年(1885年)の洪水で本社とともに流失したとの事です。
若宮八幡大神宮の社殿
【狛犬 阿形】
【狛犬 吽形】
【社殿】
仁徳天皇をお祀りしています。
【本殿】
現在の社殿は、昭和14年(1939年)5月に再建されました。
【拝殿】
【拝殿内】
手水舎
柵に囲まれたりっぱな手水舎。
大きな鯛にえべっさんが乗っている。
カラフル
【社務所】
豊受稲荷社
【鳥居】
【拝殿】
御祭神は宇迦之御魂神
【絵馬掛けになっている神牛舎】
絵馬の向こうに神牛。撫でると願いが叶うという。
祖霊社
【戦没者記念碑】
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