社伝では、創建は奈良朝末期の淳和天皇の天長八年(八三一)、天皇の近侍、藤原保則卿が、従者を伴い淀川堤を逍遥せられ、翌年に東赤井堤南御供堤を築き云々とあり、清和天皇の貞観三年(八六一)、地元有志によって神社を建立勧請したとある。
三島郡島本町広瀬鎮座「水無瀬神宮」より社殿を戴いたと云う由緒ある神社で屋根瓦には天皇菊花紋章(十六葉八重表菊)が復元されている。
【神社名】
鞆呂岐神社
【鎮座地】
〒572-0087
大阪府寝屋川市木屋町10-25
【御祭神】
六社大明神
天照皇大神、豊受大神、蛭子大神、住吉大神、神功皇后、天児屋根大神
【祭日】
春祭 四月十六日
例大祭 十月十六日

周辺マップ
寝屋川市には“ともろぎ神社”が二つある。一つは香里本通町にある友呂岐神社。木屋町の鞆呂岐神社は淀川の左岸側にある。

一の鳥居(入口)
【一の鳥居】
鞆呂岐神社では府道148号線に面した場所に突如、一の鳥居が現れる。良い意味で不自然で驚きの光景。

一の鳥居をくぐり、参道を少し進んだ正面に二の鳥居がある。

【寝屋川市名物 鉢かづき姫】

鞆呂岐神社の入口

用水路が流れており、小さな石橋を渡って境内に入る。

【鞆呂岐神社案内板】

六社大明神
鞆呂岐神社案内板より
天照皇大神
豊受大神
住吉大神
息長足姫神(神功皇后)
春日明神(天児屋根命)
蛭子大神(恵比寿明神)
鞆呂岐神社は清和天皇の貞観三年(八六一)に建立された古いりっぱな神社です。
【社号標】

【二の鳥居】

二の鳥居前に狛犬
【狛犬 阿形】

【狛犬 吽形】

【手水舎】



木屋警防団と書かれた手押しポンプ車。

【社務所】

【木屋集会所】

社殿
【なで大黒】
大黒様は神社にお参りになる人々の〝福徳と福寿〟を祈念している。

【拝殿前の狛犬】
狛犬 阿形

狛犬 吽形

【本殿】
現在の社殿は、平成二十一年五月に改修工事された。




屋根瓦には天皇菊紋(十六紋)が復元されている。

稲荷神社

稲荷社の隣に立派な樹木。

【鳥居】

【稲荷社】

【寝屋川市 保存樹】

樹種名 クス 樹高 17.00m 幹周り 1.73 樹齢 80年

樹種名 クス 樹高 17.00m 幹周り 199 樹齢 80年

【寄進の鳥居】
柱に「播州赤穂城主浅野長矩家中四七人之内松村喜兵衛秀直四代之孫 村松喜兵衛源尚次」と刻まれている。


寄進の鳥居
寝屋川市
ここ鞆呂岐神社の本殿は、市内でも珍しい桃山文化の流れを伝える美しい彩色のある流造りで、境内奥の奥宮の社の前には、「寄進の鳥居」と呼ばれる鳥居があります。この鳥居は、『忠臣蔵』で有名な赤穂浪士の一人、松村喜兵衛秀直の四代目の子孫が寄進したといわれます。
事件後、縁者は捕らえられ、秀直の子、政右衛門は伊豆大島に配流されますが、四代将軍家綱の法要を機に赦免されましたので、その後、木屋村に移り住んだようです。
鳥居には「播州赤穂城主浅野長矩家中四七人之内松村喜兵衛秀直四代之孫 村松喜兵衛源尚次」と刻まれています。
奥宮 若宮八幡社
寄進の鳥居をくぐると奥宮へとつづく。



【手水舎】


【史跡 茨田蛇の池跡】
茨田蛇の池跡の碑は、農業用水の守り神の鞆呂岐神社境内にある奥宮社殿の横に立っている。
池はかつて神社の北側が枚方市境付近にあった赤井堤防、西側は淀川堤防あたりまで広がっていたそうな。
また大きな蛇の竜神さまがすんでいたという民話が伝わり、古くはかんがい用(田畑を潤すのに必要な水のこと)に使われていたとの事。しかし、次第に埋め立てられ、昭和五十一年に境内の整備で行われた石垣工事で姿を消し、茨田蛇の池の存在を後世に伝えるため鞆呂岐神社の氏子たちが石碑を建立したとの事。

【狛犬 阿形】

【狛犬 吽形】

【若宮八幡社】


龍神社祠
奥宮社殿の隣の御神木の根元に小さな祠があり、竜神様をお祀りしいる。



Googleマップ鞆呂岐神社
鞆呂岐神社 072-334-1275


コメント