堤根神社は、大阪府門真市にある神社。
淀川の支流・古川の南岸のかつての茨田堤に鎮座する。
茨田堤の鎮守として創建されたもので、延喜式神名帳に記載される式内社であるが、門真市内には堤根神社が二社あり、どちらも式内社と称している。
【神社名】
堤根神社
【鎮座地】
〒571-0062
大阪府門真市宮野町8-34
【御祭神】
彦八井耳命
菅原道真公
若宮大神
【式内論社】
河内國茨田郡 堤根神社
[社格]
旧村社
【祭日】
十月第三土曜日

周辺マップ
京阪電車 大和田駅から徒歩5分程度。

入口

【一の鳥居】

【参道】

【堤根神社 由緒】

延喜式内 堤根神社
堤根神社 由緒石碑より
御祭神
彦八井耳命 菅原道真公
約一六〇〇年前、河内湖周辺を水害から守るため、仁徳天皇の命により茨田宿弥が旧淀川(古川)に日本最古の堤防、茨田堤を築く。
この堤を守るため、茨田氏の先祖彦八井耳命(神武天皇の皇子)を守護神として奉祀したのが神社の起源である。
平安時代の延喜式神社帳にも記され、鳥居前には河内と大和を結ぶ行基道が通じており、北河内随一の古社として厚い信仰を集めている。
また江戸時代初期、淀藩主、永井信濃守尚政により菅原道真公を合祀せている。
【おみくじ掛け】

【二の鳥居】

【手水舎】

堤根神社の摂末社
【稲荷社】
御祭神
末鷹大神 熊吉大神


【蛭子社】
御祭神 蛭子大神

【九頭八幡社】
御祭神
九頭大明神
八幡大菩薩

堤根神社 社殿
【狛犬 阿形】

【狛犬 吽形】

【社殿】
御祭神は彦八井耳命・菅原道真。茨田堤築造に関係の深い茨田氏が、堤の鎮守として祖神・彦八井耳命を祀ったものと伝えられる。
平安時代中期に編纂された延喜式神名帳には河内国茨田郡五座の第一位に列せられ、門真で唯一の式内社であった。

伝茨田堤(でん まんだのつつみ)
【伝茨田堤解説】

伝茨田堤(府指定史跡)
指定:昭和49年3月29日 大阪府文化財保護条例
追加指定:昭和58年5月2日 大阪府文化財保護条例
ここには東西方向に堤防跡が残存し、延喜式内社の堤根神社が鎮座することから、「茨田堤」の遺構と推定され、府の史跡に指定されています。
「茨田堤」は『古事記』『日本書紀』に記述があり、記録に残るわが国最古の堤防として知られています。
『日本書紀』仁徳天皇11年10月条に築堤の記事があり、淀川からの洪水を防ぐために、難工事の末、堤防を完成させたと伝えています。平成24年に初めて発掘調査がおこなわれ、地上に残る遺構を含め、鎌倉時代(13世紀)に築かれた堤防状の遺構であることがわかりましたが、「茨田堤」と断定するには至っておりません。
門真市教育委員会
道路よりも高く盛り上がった位置にある。

隣接する「堤根神社」の社殿裏手にある。

これら大木と堤跡はフェンスで囲まれている。

昭和の初期までは茨田堤跡がもっと長く残っていたが、宅地開発により削られていった。今では、全長六十m幅十五m程で保存されている。

文禄堤完成後も古川堤として維持されたそうだ。

幹回り、枝ぶりが見事。

称峯山「不動堂」
茨田堤跡から西へ歩くと出てくる。


称峯山「不動堂」
称峯山「不動堂」立札より
当不動堂は、今から約七十年前(大正時代)当時田園の中を流れる古川堤防の松林の中に信者多数により建立され「不動明王」を本尊として勧請されました。
その後「柴灯大護摩供」を田の中で(この不動堂の東側)付近の村落を初め、北河内一円より参拝者を集めて厳修されたこともあり、「常称寺のお不動さん」として親しまれ、また「火除け不動」とよばれ地元の守護神として篤信家の参詣をいただいています。
不動明王は如来が怒りの姿に変じたものと説かれ、すべての災魔を屈服させるといわれ、また、難行苦行に立ち向かう者を守るとされています。
再建立 平成2年7月吉日
【不動明王の真言】
のうまく さまんだ ばさら だん せんだ
まかろしゃだ そわたや うんたらかんまん


Googleマップ堤根神社(式内社)
堤根神社(式内社) 072-884-5188


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