阪南町一丁目の民家に囲まれた地に鎮座する小さな神社。一九三七年まで、この地には大きな灌漑用のため池、苗代田池があり昭和十一年四月に北端に個人(小松徳太郎氏)の方が創建されたそうです。溜池は埋められ、辺りは住宅街となり、神社を建てられた方も引越され、地元の方々でお祀りしています、しかし私有地の為、固定資産税と言う壁にぶつかり阿倍王子神社に合祀を申し出、平成九年十一月十八日飛地境内社と成っています。
灌漑とは
農作物の生育に必要な水を水路を作って田畑に必要な水を引き、土地をうるおすこと。
周辺マップと路線経路
玉菊稲荷神社 入口
【鳥居】
【社号標】
“阿倍王子神社飛地境内 玉菊稲荷神社”と刻まれている。由緒書によると、玉菊稲荷神社を崇敬する地元の人々により維持されてきたが、私有地だった為、固定資産税の負担があり、維持が難しくなったので、阿倍王子神社合祀を願い出た。阿倍王子神社での議決を経て、阿倍王子神社の飛地境内神社となったとの事です。
【鳥居 扁額】
【由緒書】
玉菊稲荷神社御由緒
平成十年五月二十五日 王子連合第九町会
鎮座地 大阪市阿倍野区阪南町一丁目四番十五号
祭神名 玉菊大明神 並びに玉村大明神
創建年 昭和十一年四月 小松徳太朗氏が創建
合祀年平成九年十一月十八日 阿倍王子神社合祀
例祭日 毎年四月の第二日曜日
御由緒
当地には昭和十二年まで細長い三角形の大きな灌漑用の溜池「苗代田池」がありました。この池の名前は、今も苗代田郵便局などの地名として残っている通りですが、この池の北端辺りの岸辺に昭和十一年四月に、当地に居住の小松徳太郎氏が、土地の守護神として玉菊稲荷神社を創建しました。当日池の土手には桜並木も有り、池には貸しボートもあって、長閑な田園地帯でしたが、翌年には池が埋め立てられて住宅地と化し、後には小松氏も奈良県に移住して、その後は当社を崇敬する地元の人たちにより維持されて来ました。しかし、私有地の為に固定資産税の負担も有り維持が難しく成ったので、地区で相談の上、地元が管理する神社として、阿倍王子神社合祀を願い出て、阿倍王子神社での役員会の議決を経て、平成九年十一月十八日に国税庁の租税特別措置法適用の認可を受け、宗教法人阿倍王子神社規則も改正して、大阪府庁と神社本庁の許可も受けて、阿倍王子神社の飛地境内神社と成りました。
阿倍王子神社
【手水舎】
【社号標】
お社の前にも社号標がある。創建者の小松徳太郎氏の名が刻まれている。
【狛犬 阿形】
【狛犬 吽形】
玉菊稲荷神社 お社
【二の鳥居とお社】
【玉村大明神】
【玉菊大明神】
玉菊大明神 玉村大明神、両神とも稲荷神。
昔の写真が飾られている。玉菊稲荷神社が鎮座された時の様子でしょうか。
天井から提灯が。
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