“坐摩神社”と書いて“いかすり神社”と読む。本町のオフィス街の中にあり、地元では“ざまさん”と呼ばれ親しまれる。また渡辺さん・渡部さんのお名前発祥の地と言われる。 大阪市中央区久太郎町 坐摩神社(いかすりじんじゃ)

大阪の神社

久太郎町4丁目渡辺3号に鎮座する。
通称「ざまさん」と呼ばれ親しまれる船場の氏神様の坐摩神社いかすりじんじゃ。摂津国一之宮であり、旧官幣中社で、御祭神の坐摩大神いかすりのおおかみは、神武天皇の在位期間、宮域を守る神様として宮中に祀られたのが起源とされる。
ご神徳は住居守護・旅行安全・安産守護で、旅行安全の神様。
創建は、神功皇后が新羅より御帰還の折、淀川南岸の大江の岸・田蓑島、のちの渡辺の地(北東へ約一.七キロ、現在の天満橋西方、石町附近)に坐摩大神を奉斎したのが始まりです。平安時代の「延喜式」にも摂津国西成郡唯一の大社と記されている。
天正十年(一五八二)大坂城築城の際、替地を命ぜられ、寛永年間現在地に遷座。現在の鎮座地名を渡辺と称するのも、元の地名が移ってきたためで渡辺姓の発祥地として有名。昭和二十年に戦災により社殿が焼失する。現在の社殿は鉄筋コンクリート造で、戦前の姿のままに復興されたもの。

坐摩神社の基本情報

【神社名】
坐摩神社いかすりじんじゃ 坐摩神社ざまじんじゃ


【鎮座地】
〒541-0056
大阪府大阪市中央区久太郎町4おおさかふおおさかしちゅうおうくきゅうたろうまち渡辺わたなべ3


【御祭神】
坐摩大神いかすりのおおかみ(五柱の神の総称)
生井神いくいのかみ福井神さくいのかみ綱長井神つながいのかみ波比岐神はひきのかみ
阿須波神あすはのかみ


【式内社】
攝津國西成郡 坐摩神社 大 月次新嘗
諸国一宮
摂津國一之宮せっつのくにいちのみや
[社格]
旧官幣中社きゅうかんぺいちゅうしゃ


創建
神功皇后年間


例祭と神事
花祭 4月22日
懸鳥祭 12月2日


【御神徳】
住居守護 旅行安全 安産守護


休日 無休
営業時間
平日 7:30~17:30
土日祝 7:30~17:00

周辺マップと路線経路

Osaka Metro御堂筋線「本町駅」より徒歩3~5分程度。

画像出典:© OpenStreetMap contributors

入口

【鳥居】

小さい鳥居が両横に組み合う「三ツ鳥居」になっている。

【社号標】

【坐摩神社案内板】

地名が「渡しの辺り」から転じた「渡辺」だったことから、「渡辺・渡部姓発祥の地」と言われる。

摂津国一之宮 坐摩いかすり神社(旧官幣中社)
御祭神 坐摩大神(五柱の神の総称)
生井神いくゐのかみ福井神さくゐのかみ綱長井神つながゐのかみ波比岐神はひきのかみ阿須波神あすはのかみ
御由緒
神功皇后新羅より御帰還の折、淀川南岸の大江田簑島後の渡辺の地に奉祀せられたことに始まる。
延喜式神名帳には攝津國西成郡の唯一の大社と記され、往古より産土神として今日に至る。
坐摩(いかすり)の語源は、土地又は居住地を守り給う意の居所知(いかしり)が転じたものと伝わる。
天正十年(一五八二)豊臣秀吉の大坂築城の際替地を命ぜられ、寛永年間現在地に遷座。現在の鎮座地名を渡辺と称するのは元の地名が移されたことによる。故に全国の渡辺・渡部等の姓の発祥の地とされる。
明治天皇御降誕に際し宮中より御安産の御祈願を仰せつかり、秋季大祭当日(旧暦九月二十二日)皇子無事御降誕あらせられる。明治元年、明治天皇大阪行幸の折、当社に御親拝になり、境内での相撲を天覧遊ばされる。
昭和十一年官幣中社に列せされる。

坐摩神社案内板より

【鳥居】

境内の様子

【狛犬 阿形】

【狛犬 吽形】

【手水舎】

【明治天皇聖躅碑】

明治天皇が大阪に六回行幸されたことを後世に伝えようと、大阪市青年聨合團が大阪市内三〇箇所に碑を建てたひとつとのことです。

【算額顕彰碑】

算額顕彰碑
江戸時代「算額」は全国各地の神社仏閣を公開場所として数多く奉納されていた。
「算額」とは、数字の問題を額に掲げ出題したもので、それをお互いに解きあい、技術の向上に努めた。その一方で、難問が解けたことを神仏に感謝するなど、社会全体で数学を楽しむことが当時の一般的な風習であった。
船場三社(坐摩神社・難波神社・御霊神社)も例外ではなく、「算額」が数多く奉納されていたものの、現在では消失して残っていない。
「算額」に裏付けられた和算の普及が、幕末維新の近代日本を支え、現在の我が国の発展に大きく貢献したことは周知の事実である。
本学園創立地である船場、そこに鎮座される三社に、この「算額顕彰碑」を奉納し、歴史的な教育活動の一端を末永く記憶に留め、先人の功績を讃えたい。
船場創立の順天堂塾(天保五年八月二十六日南本町四丁目・創立者 福田理軒)は和算塾として開塾した。維新後には東京に活動の拠点を移したが、船場出身の多くの私塾の中で、唯一現在まで存続している順天学園(東京都北区王子本町)が、創立百八十年記念事業の一つとしてここに「算額顕彰碑」を奉納する。

算額顕彰碑より

【おみくじ掛け】

【上方落語寄席発祥の地の碑】

上方落語寄席発祥の地
中興の祖 初代桂文治
初代桂文治は寛政年間(一七八九~一八〇〇)坐摩神社境内に大阪ではじめて寄席を建て、抜群の話芸で名人と称され上方落語繁栄の基礎を築いた。それまで大道芸に近い芸能だった落語を室内の高座で演ずる現在につながる興行形式にあらためたのであるために、文治は上方落語の中興と仰がれている。
文治の名称は三代目以降が江戸に移ったが、七代目文治の名が一旦大阪に戻り、初代文治を祖とする桂派の流れは大阪と江戸の両地で大きな勢力となって東西落語界の興隆を支えて今日に至っている。
大阪藝能懇話会 肥田晧三

「大坂坐摩太夫桂文治」と記された文化十年(一八一三年)の番付

天満天神繁昌亭への継承
江戸時代後期、ここ坐摩神社において初代桂文治が開いた咄の席が上方落語の寄席興行の始まりです。以降、幕末から明治・大正にかけて多くの落語の席が誕生し上方落語は飛躍的な発展をとげました。
昭和に入り、戦災等によって落語は定席を失いましたが、平成十八年九月「天満天神繁昌亭」が開場。約六十年ぶりに落語専門の寄席が復活しました。
ここに感謝と継承の思いを込め、初代桂文治の業績を顕彰し原点の証として「上方落語寄席発祥の地」の碑を建立します。
上方落語協会 桂三枝

上方落語寄席発祥の地より

境内社

境内の右側に境内社が並ぶ。

【大江神社】

繊維せんい神社】

周辺の繊維問屋の守護神。

【大國主神社】

【天満宮】

【相殿神社】

坐摩神社 社殿

火防 陶器神社(ひぶせ とうきじんじゃ)

【全市 せともの祭】

全市 せともの祭
とき 七月二十三日より二十六日まで主催 大阪府陶磁器商業共同組合
古くから伝えられる陶器造り人形を各所に奉納し全市組合員は一年の感謝の意をこめて協賛売出しに参加開催されます。特にせともの町筋では全国より業者が集まり陶器の祭典とも申すべき廉売市の催しは浪速夏の風物詩として近郊より多数の人が集まり夜を徹して賑います。

全市 せともの祭の説明がなされた陶器より

【由緒の書かれた陶器】

火防 陶器神社
御祭神 大陶祗神おおすえつみのかみ 迦具突智神かぐつちのかみ

由緒
嘉永の頃、愛宕山将軍地蔵が祀ると伝えられ火除けの神として崇敬厚く、特に陶器商人は守護神と仰ぎ七月二十三日の大祭には陶器造り人形を各戸競って作り奉納し地蔵会と共に盛んでした。当初は靭南通一丁目に鎮座ましましたが、明治四十年市内電車敷設のため、坐摩神社に移転合祀されました。祭壇には瓢の水を次て火を防ぐとの古事により陶製瓢と火の要鎮のお札を笹に結び付け参詣者に授与し、亦陶磁器の端物を贈呈したのが祭の起源とされ、北は筋違橋から南は四ツ橋までの西側二百数十店が軒を並べていたものです。その後、昭和二十年戦災に遭い二十六年西横堀浜筋に再建せともの祭と共に復興いたしました。然し四十六年阪神高速道路の敷設により再度立退きのやむなきとなり、ここに崇敬者の浄財と各地陶芸作家諸先生の賛助により陶器神社の名にふさわしく、陶器の宮として当所に御造営の上同年十二月遷宮鎮座し奉りました。

稲荷神社(瀧丸稲荷大明神)

鮮やかなお社。

裏側の出入口

坐摩神社 旧鎮座地

京阪天満橋駅近くにある。

大阪府大阪市中央区石町2丁目2-15

坐摩神社行宮いかすりじんじゃあんぐう 坐摩神社の旧鎮座地との事です。令和四年十二月時点で、工事中でした。

Googleマップ坐摩神社

坐摩神社 06-6251-4792
坐摩神社 · 〒541-0056 大阪府大阪市中央区久太郎町4丁目 渡辺3号
★★★★☆ · 神社

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