贈正位太政大臣、菅原道真公
例祭 10月18日
由緒
大阪府神社庁第三支部ホームページより
当神社の創建年代は不詳であるが、貞享三年(一八六八)の調査によれば往古より鎮座されていたと伝わり、社殿は江戸時代、ことに菅原道真公への崇敬篤かりし、当時の領主永井氏により宝永七年(一七一〇)に再建され、明治五年(一八七二)村社に列せられ、同年十一月大字葛原の氏神社を合祀せり。明治十三年(一八八〇)に社殿の改築造営がなり、同年六月一日盛大なる正遷宮を執行したとされる。先に合併された氏神社は、『葛原之復舊』により分離された。大正十三年七月二十七日大阪府告示第一四八号を以て、神饌幣帛料共進社に指定せらる。神社名については、元氏神社と稱せしが、明治初年代、神社調査の際、当地近隣所在の神社は普く氏神社とせられたりしを、紛らわしきを以て大利神社・菅原神社等改稱せしあるも猶、氏神社と稱するもの三社あり、何れも隣接地にて紛らわしく不便多きを以て、鎮座地の地名を採り、高柳神社となすを適當とす。当地の下氏所蔵の菅公画像の裏書に『此尊像菅公所自写而本為当氏神之神体、経星霜巳久、殆造損壊因当村下氏智潭加繕修益仰神沢云。河州茨田郡高柳村別当長栄寺』と書かれてある。(此ノ尊像ハ菅公ガ自ラ写ストコロニシテ、モトハ当氏神ノ神体トナス、星霜ヲ経テスデニ久シ、殆ド損壊ニオヨブ。因リテ当村ノ下氏智潭ニシテ、繕修ヲ加工、益々神沢ヲ仰グトイフ。云々)
周囲マップと路線経路
鳥居(入口)
【鳥居】
【社号標】
【手水舎】
【狛犬 阿形】
【狛犬 吽形】
本殿
高柳天満宮の保存樹
【楠木】
樹高(m)18. 52 幹回り(m)2.75 樹齢250年
【楠木】
樹高(m)17.36 幹回り(m)1.82 樹齢150年
【楠木】
樹高(m)16.92 幹回り(m)1.98 樹齢150年
【楠木】
樹齢高(m)17.83 幹回り(m)2.36 樹齢250年
大将軍祠
近くにある大将軍祠。
「大将軍」というのは大安や仏滅などとともに暦の吉凶をつかさどる八将軍、太歳神、大将軍、太陰神、歳刊神、歳破神、歳刹神、黄幡神、豹尾神という方位の神のひとつですが、そのなかでも代表的な立場で古来より最も恐れられていました。
寝屋川市ホームページより
高柳・黒原・太秦・高宮の地区には「大将軍」という小字があります。石津には「大上戸」、三井には「大上権」、太秦には「大上こん」がありますが、これらは大将軍のなまったものと考えられます。大将軍をまつった場所や地域をさしているのでしょう。
高柳村の鬼門(北東)といわれた方角に、昔は木々がうっそうと茂り、たぬきがすむと恐れられていた場所がありました。高柳村ではそのころ異変が続いていました。村中で話し合われ「鬼門を粗末にしているからだ。大将軍をまつろう」ということになりました。これが高柳村の「大将軍」のおこりで、以来、村人の厚い信仰を集めてきました。
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