八幡市 石清水八幡宮②(いわしみずはちまんぐう)

京都の神社

やわたのはちまんさんの名で親しまれる石清水八幡宮。

御祭神
東御前神功皇后 じんぐうこうごう
中御前応神天皇 おうじんてんのう
西御前比咩大神 ひめおおかみ

石清水八幡宮の基本情報

【名称・別称】
石清水八幡宮いわしみずはちまんぐう
やわたのはちまんさん
日本三大八幡宮にほんさんだいはちまんぐう

【鎮座地】
〒614-8005
京都府八幡市八幡高坊きょうとふやわたしやわたたかぼう30

【社格】
旧官幣大社きゅうかんぺいたいしゃ
勅祭社ちょくさいしゃ

【御祭神】
応神天皇おうじんてんのう
神功皇后じんぐうこうごう
比咩大神ひめおおかみ
多紀理毘賣命たぎりびめのみこと
市寸島姫命いちきしまひめのみこと
多岐津比賣命たぎつひめのみこと

周辺マップと路線経路

画像出典:© OpenStreetMap contributors

二ノ鳥居

表参道

この辺りに下へ向かう階段がある。下へ向かうと相槌神社。

参道の階段を登る。

さらに登る。

ジグザグ七曲がり。

ちょっと休憩。

大扉稲荷社

何か出てきた。

回り込んで。

大扉稲荷社

御祭神 御食津神(うけもちのかみ)
御神徳 商売繁昌の神様

大扉稲荷社が現在の場所に鎮座したのは、男山考古録によると文政12年(1829)のことです。
当時、富くじのご利益があると大扉稲荷社参りが流行し、富を得ると伝えられ、信者を増やしていきました。その富くじに当たった信者の寄進で建立したとの事です。
祭神はお告げにより相槌稲荷の子で、登毘良明神と知らされたと伝えられています。また、その昔、このあたりには狐の住んでいる穴があり、柴草を刈りに来る人にいたずらをするので、稲荷社を建てて崇めたという伝説が残っている。

稲荷社の前に影清塚

緩やかな坂を登る。

石垣が出てきた。

東谷 橘本坊跡

橘本坊は足利氏の祈願所でした。足利氏は、平安時代後期に石清水八幡宮社頭で元服し、「八幡太郎」と呼ばれた源義家の孫・義康を祖とする武家の名門で、室町幕府を開いた足利尊氏から約240年間にわたり日本を統治しました。
 室町幕府3代将軍である足利義満の母、良子は、石清水八幡宮の長官を務めた家である「善法寺家」の出身であったことからゆかりが深く、足利将軍の多くは生涯に何度も参詣し、放生会(ホウジョウエ)(現在の勅祭・石清水祭、9月15日未明に斎行)も執り行いました。橘本坊には世に名高い八幡太郎義家の産衣(ウブイ)や甲冑がありましたが、宝暦9年(1579)の火事で焼失し、今は石垣だけが残されています。
 男山の麓、南へ約300mに善法寺家ゆかりの寺、善法律寺があり、良子の寄進と伝わる紅葉が美しく、「もみじ寺」ともいわれます。

解説板より

足利氏の祈願所でしたが、火事で焼失してしまったそうです。

階段を登る。

中坊と椿坊の坊跡

神仏習合の宮寺・石清水八幡宮では、江戸時代末まで山内に数々の坊があり、「男山四十八坊」と呼ばれました。
この周辺は「中谷」といわれ、現在の社務所周辺まで、所狭しと坊が建てられていました。明治の初めに神仏分離令によって取り除かれ、現在は石垣を残すだけですが、詳細な絵図が残されており、坊の名前もわかっています。四角い切り石が積み上げられたのは「中坊」の門があった場所です。中坊は平安時代中期にはすでに記録があり、鎌倉時代以降に増える石清水八幡宮の坊の中でも古くからありました。
現在の社務所のあたりにあった「椿坊」には、平安時代末期の女流歌人で有名な小侍従が住んでいたといられています。小侍従の父は石清水八幡宮第25代別当の光清、姉妹は鳥羽天皇に嫁ぎ、八幡市の地名・美濃山の由来として語られる美濃局。「待つ宵に更けゆく鐘の声聞けば あかぬ別れの鳥はものかは」の和歌は小侍従の代表作です。

案内板より

すごい石垣だ。

こちらが中坊の門跡。石垣の間に門があった。

南谷 豊蔵坊跡

江戸に幕府を開いた徳川家康が早くから祈願所とし、徳川将軍家の坊として江戸時代もっとも栄え、文久3年(1863)に孝明天皇が攘夷祈願を行った場所としても有名です。 石高は男山四十八坊といわれた坊のなか随一でした。正法寺の開祖である志水家の娘で、家康の側室となったお亀の方(相応院)のおかげで、江戸幕府の手厚い保護があったともいわれています。お亀の方の子は初代尾張藩主となり、母の菩提寺である正法寺を厚く庇護しました。 豊蔵坊は、江戸幕府が直接修理や築造を行ったので、詳しい絵図が複数現存しています。客殿や庭を備え、湯殿が2ケ所、蔵が3棟あり、敷地全体に所狭しと建てられていました。明治初めに建物は全て取り除かれましたが、豊蔵坊にあった徳川家康の像(東照神君像)は、京都市の等持院に移され現存しています。

案内板より

鳩茶屋

参道途中に茶屋がある。本日はお休みだったよう。

竹が美しい。

愛染堂と南谷の坊跡

(石碑の写真を撮り忘れるの巻)

石清水八幡宮の三の鳥居から東へ階段を下るルートを「表参道」といいます。表参道の石垣は、「坊」という小さな寺院の跡です。神と仏を合せ祀った八幡宮には坊が数多くあったことから、「男山四十八坊」と呼ばれていました。「南谷」といわれたこの周辺にも坊や仏堂が建ち並んでいましたたが、明治時代の神仏分離令により失われました。三の鳥居周辺には、平安時代に栄華を極めた藤原道長が建てた仏塔もあり、鳥居のすぐ南には、天治3年(1126)に平宗実が建てた「駿河三昧堂」という多宝塔がありました。さらに現在地周辺には、愛染堂(盛輪院)がありました。石清水八幡宮長官であった檀棟清により、寛元4年(1246)に建てられたものです。かつて本殿の南西、西谷にあり、八幡市内の古墳の上に移築された八角堂と同じ、隅切り八角形の仏堂だったようです。愛染堂にあったと伝えられる仏像・愛染明王像は、現在愛知県蒲郡市の永向寺に安置されています。

案内板より

神馬舎(じんめしゃ)

以前は馬(神馬)がいたとのこと。

神馬舎の横にどこかへ続く道。

三ノ鳥居

鳩峯寮の庭
作庭家の重森三玲翁の作品。

この石庭は昭和を代表する作庭家である重森三玲翁により、昭和三十六年九月十六日に当地方を襲った第二室戸台風で倒壊した三之鳥居(正保二年建立)の石材を用いて、昭和四十一年五月十一日に作庭されました。
参道の石畳を含めた東西にわたり一貫する直線と斜線の繊細な組み合わせと、力強い石組との対比によって構成された珍しい石庭で、生涯にわたって月参りを続けられた翁の深い敬神崇祖の心が大変見事に表現されています。

立札から

一ツ石

三ノ鳥居から入ってすぐ参道の中央に自然石が露出している部分がある。この石は「一ッ石」と呼ばれている。
江戸時代には、本殿参拝を終えた参詣者が一ッ石の前で再び本殿に向かい拝礼するという習わしがあったそうです。また
「勝負石」「お百度石」などとも呼ばれているそうです。

御鳳輦舎 
御鳳輦舎(ごほうれんしゃ)は 鳳輦(ほうれん)が納められている建物です。
屋根に鳳凰の飾りのある天子の輦(くるま)で、神輿の原形と言われています。
石清水祭では、本殿から3座の神霊が鳳輦3基で頓宮殿まで降りられる際に使用されるとの事です。

参道には灯篭が並ぶ。

涌峯塔
給水のための加圧施設とのこと。

 当初より、神仏習合の宮寺であった石清水八幡宮の御本社西側、「西谷」には、早くも平安時代中期から仏堂建立が始まった地区です。今から900年程前の平安時代後期、白川法皇が大塔の建立を発願したことをきっかけに、谷を埋めた大規模な整地が行われ、大塔に続き小塔、鎌倉時代には八角堂など、数々の仏塔が建立されました。
 小塔は鳥羽天皇の皇后である待賢門院の発願により、長承元年(1132)にこの付近に建てられ、文禄5年(慶長元年・1596)の「慶長の大地震」で倒壊したまま再建されませんでした。大塔より小型の「多宝塔」と呼ばれる形式の塔でした。

解説板より

エジソン記念碑

エジソン記念碑
この記念碑は、アメリカの偉大な発明家であるトーマス・アルバ・エジソン(一八四七~一九三一年)が発明した白熱電球誕生のゆかりの地に、エジソンとその業績を記念するため建てられました。
一八七八年、エジソンは白熱電球の実用化に取り組んでいましたが、点灯時間はまだ短く、長時間輝き続けるフィラメントを探し出すことが必要でした。エジソンは金属から綿糸、さらにはあごひげまで、何千もの素材を試し、竹が最適であることを発見しました。これを受けて助手たちは、京都を含め世界中を調査して竹の標本を集め、そのなかから一〇〇〇時間以上燃焼する耐久性に優れたフィラメントが生まれ、白熱電球の実用化に至りました。そのときエジソンがフィラメントとして使用したのは、石清水八幡宮近くの真竹だったといわれています。八幡の竹は江戸時代には刀剣の留め具である「目釘竹」の名品として徳川将軍家に献上されており、強くて質が高いことで有名でした。
最初のエジソン記念碑は、一九三四年に石清水八幡宮境内に建立されましたが、一九五八年に現在の場所に移転され、一九八四年にはデザインを一新し再建されました。

解説板より

その他のモニュメント

駐車場に何の説明もない謎の像がある。実はこれボーイスカウトの像との事。

ボーイスカウトの敬礼は三指の敬礼といって人差指・中指・薬指の三指をつけて敬礼するらしいです。

石清水八幡宮案内絵図

Googleマップ石清水八幡宮

石清水八幡宮 075-981-3001
石清水八幡宮 · 〒614-8005 京都府八幡市八幡高坊30
★★★★☆ · 神社

石清水八幡宮ホームページ

八幡市 石清水八幡宮③(いわしみずはちまんぐう)へつづく

周辺の河川

八幡市 大谷川(おおたにがわ) 八幡西島付近~八幡高坊

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