京都市 北区上賀茂本山 賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)

京都の神社

西側に賀茂川が流れる、賀茂川東岸山麓に鎮座します。この地を開拓した古代氏族である鴨氏が、天武天皇の時代以前から祀っていたと云われ、嵯峨天皇の皇女、有智子(うちこ)内親王を最初に平安時代から四〇〇年間、未婚の皇女が斎王として奉仕していた由緒ある神社です。

古代の面影が宿る境内は、76万㎡。
国宝指定の本殿と権殿は檜皮葺き流れ造り、文久三年の造替の代表的な建造物です。また本殿の北北西の2キロ先に神山があります。神山は御祭神が天降ったという伝承のある賀茂信仰の原点で、この、お社は神山の遥祭殿として建てられたそうです。
また賀茂御祖神社(賀茂川を4キロ下流に鎮座します別名は下鴨神社)との祭りが、5月15日に行われる有名な葵祭(賀茂祭)です。
斎王役に選ばれた女性を中心に、平安風俗で牛車や輿、馬を整えた350人、1キロもの長い行列が、御所から下鴨神社を経て本社まで続きます。
京都三大祭の中でも最も歴史が古く優美なことで知られます。

賀茂別雷神社の基本情報

【神社名・別称】
賀茂別雷神社かもわけいかづちじんじゃ 上賀茂神社かみがもじんじゃ

【鎮座地】
〒603-8047
京都府京都市北区上賀茂本山きょうとふきょうとしきたくかみがももとやま339

【御祭神】
賀茂別雷大神かもわけいかづちのおおかみ

【式内社】
山城國愛岩郡 賀茂別雷神社 名神大 亦若雷 月次相嘗新嘗

【令制国】
山城國一之宮やましろのくに いちのみや

【社格】
旧官幣大社勅祭社きゅう かんぺいたいしゃ ちょうさいしゃ

【ご利益】
厄除・方除・災難除・八方除開運・必勝・家内安全

【御神紋の二葉葵】

葵は古く『あふひ』と読み『ひ』は神霊を表します。御祭神降臨の際に葵を飾り祭りをせよと神託があった事から、神と人を結ぶ草としての神紋となっています

【祭り・行事】

日時内容
1月16日武射神事
5月5日競馬会神事
5月12日御阿礼神事
5月15日賀茂祭・葵祭
9月9日烏相撲
記載されている予定は実際とは異なる場合があります。お出かけの際は当該施設までお確かめください。

路線経路と周辺マップ

画像出典:© OpenStreetMap contributors

賀茂別雷神社 入口

社号標

大鳥居の横の大きな社号標は「上賀茂神社」、「賀茂別雷神社」ではなく、「賀茂大社」となっています。

大鳥居
この大鳥居は昨年の2020年12月27日に、宮前広場の整備事業の一環として建立されたもので、高さ約8メートル、幅約6メートルあります。
この大鳥居の建設は、神社の南西の賀茂川に架かる御園橋が拡張され、それにあわせて御園橋から神社が一望できるという配慮で、この大鳥居が建設されたそうです。

一の鳥居

一の鳥居からは、参道がまっすぐ続きます。両側には芝生が拡がり、開放的な感じになります。

賀茂季鷹 立札】
 一の鳥居の脇に、風化によって傷みが激しくかなり読みづらくなっています。

 江戸後期の国学者文人で、生山・雲錦などと号した。正四位下阿房守
賀茂別雷神社の創祀以来、祖神の祭祀に携わってきた賀茂県主氏の氏人(社家)の家に、宝暦4年(1754)に生まれる。家号は山本。有栖川宮職仁親王に仕えて寵遇され、堂上派歌人としての素養を身につけた。
十九歳のとき江戸に下り、加藤千蔭、村田春海、三島自寛ら江戸派の歌人と親しんで、学事に励みつつ安永、天明の華やかな雅俗文芸の中に身をおいて、俗文芸界にも通じた。
寛政の初め三十八歳の時、帰京し賀茂社に仕える。帰京後は二条御幸町と上賀茂に居を構え、時々江戸にも下って東西の文人とも交わる。和歌のほか狂歌や書にも秀でて、文人墨客を中心として上下に交友が広く、染筆を請うものが多かった。
堂上派風の技巧が目立つが、知的で明快な歌風が特色で、門下に安田躬弦、齊藤彦麿、賀茂直兄、賀茂重誠らがある。主著に「万葉集類句」「伊勢物語傍注」「正誤仮名遣」「かりの行かひ」「富士日記」などのほか、門下の著した「みあれの百草」「雲錦翁家集」などがある。また文人達への贈品に酸菜を用いて、特産物の普及に途を拓いた逸事も残る
天保十二年(1841)十月九日没、八十八歳。墓は北区西賀茂鎮守庵町の小谷墓地にある。また北区上賀茂竹鼻町には社家屋敷の俤を止める自邸雲錦亭や歌仙堂が残っている。

立札より

一の鳥居をくぐり、二の鳥居へと向かう参道。

参道脇は芝生や樹木。

区民の誇りの木 シダレザクラ 御所桜

参道を進むと右手にはしだれ桜が望まれます。夏の時期は葉が茂るのみですが、春に訪れれば満開の花を観賞することが出来そうです。
孝明天皇 御下賜の枝垂れ桜を当神社社家、蒋池清山が奉納。樹齢180年との事です。

外幣殿(御所屋)


外幣殿げへいでん(御所屋こじょのや)
法皇、上皇等の御幸
摂開賀茂詣の際の著到殿又競馬会神事、葵祭(賀茂祭)に使用されます。また、馬場殿とも称されます。寬永五年(一六二八年) 造替 重要文化財

風流桜
葵祭の時、「風流傘・花傘」がこの桜を目印に並べられます。

神馬社

二の鳥居の手前に神馬社があり、日曜、祝日や神事が営まれる際には白馬が参拝者らを迎えてくれるとのことです。賀茂競馬会神事くらべうまえしんじは5月初旬に開催されるもので、五穀成就、天下泰平を願うために宮中武徳殿で執り行われた節会の競馬会式を1093年(寛治7年)に上賀茂神社に移したことが始まりで、年中行事として定着しています。

境内案内図

世界文化遺産・上賀茂神社 案内板

上賀茂神社と謡曲「賀茂」立札

上賀茂神社と謡曲「賀茂」
 秦氏の妻女の玉依日売が、当地の御手洗川で水を汲んでいると、白羽の矢が流れてきた。持ち帰り、軒に挿しておいたところ、解任して男子を産んだ。その子が三歳の時、父は雷と知り、天に昇って別雷の神となる。この神を祀ったのが当神社で、正式名を賀茂別雷神社という。
 神社は京都でも最も古い神社の一つ。雷神を祀ることから、厄除けのほか、五穀豊穣の神として農民の信仰を集めた。
 謡曲「賀茂」は、こうした神社の縁起から創作された曲で、五穀豊穣、国土守護の神徳を湛えた「初能物」である。
 平安時代初期から四百年にわたって、伊勢神宮の斎宮と同様に齋院が置かれ、歴代皇女が奉祀してきたこともある。

上賀茂神社と謡曲「賀茂」立札より

二の鳥居

世界遺産「古都京都の文化財」

賀茂別雷神社は、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)で採択された世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約に基づき、「古都京都の文化財」のひとつとして世界遺産リストに登録されました。このことは、人類全体の利益のために保護する価値のある文化遺産として、とくに優れて普遍的価値をもっているこ
とを国際的に認められたことになります。
賀茂別雷神社の創建は古く、 7世紀末にはすでに有力な神社となっており、 さらに平安建都以降は国家鎮護の神社として朝廷の崇敬を集めていました。社殿は11世紀初頭までに現在に近い姿に整えられましたが、その後衰微し、寛永5年(1628)に再興されました。 この時の整備は境内全体におよび、記録や絵図を参考に平安時代の状況が再現されています。 再興後は本殿造替が7回実施されており、現在の本殿と権殿は文久3年(1863)に再建されたものです。
国宝の本殿と権殿は同大・同形式の建物で、東西に並んで配されています。正面3間、側面2間で正面に向拝をつけた流造ですが、 正面の流れを長くしている点にこの本殿形式の古制がよく示されています。 境内にはこれらのほか、寛永5年に再建されたと考えられる拝殿以下34棟の重要文化財の建物が残り、古代の神社景観を現在に伝えています。
なお、当神社は京都の三大祭のひとつである葵祭が催されるなど、さまざまな神事や祭事の舞台としても親しまれています。
登録年月日 平成6年(1994) 12月15日決定、17日登録 京都市

古都京都の文化財 案内板より

境内の様子

奉納された酒樽。

二の鳥居をくぐると、正面には「細殿ほそどの」と、その前に盛られた一対の「立砂たてずな」(別名・盛砂) があります。

楽屋がくのや


神仏習合時代供僧方の用いたもの一切け経楽屋ともいう。寛永五年(一六二八年)造替
重要文化財

立砂と細殿

二ノ鳥居を入った正面の立て砂は神山を象ったもので神を迎える原型と云われ、頂きに松の葉が立ち、陰と陽の一対になっています。

立砂たてずな


盛砂もりずなとも云い、「たつ」とは神様のご出現に由来した言葉であり、神代の昔に御祭神・賀茂別雷神が最初に降臨された、本殿の北北西二㎞奥にある円錐形の美しい形の神山に因んだもので、一種の神籬ひもろぎ(神様が降りられる憑代よりしろ)であるとの事です。
鬼門・裏鬼門にお砂を撒き清める風習は此の立砂の信仰が起源で、「清めのお砂」の始まりです。

細殿ほそどの

細殿は古くから天皇、斎王や上皇の参拝の際の著到殿ちゃくとうでん(まず入御して装束等を整える御殿)です。
宽永五年(一六二八年) 造替
重要文化財

舞殿(橋殿)

往古より勅使御拝の殿舎
文久三年(一八六三年)造替
重要文化財

土屋つちのや

往古より神主以下社司の著到殿
現今は祓所として用いる。
寛永五年(一六二八年)造替
重要文化財

ならの小川

境内には名水「神山湧水」が湧き、御物忌川おものいがわ(祭器具を清める川)と御手洗川みたらしがわ(身を清める川)、二つの川が合流した『ならの小川』が流れています。

ならの小川 動画32秒

紫式部 歌碑

手水舎

名水「神山湧水こうやまゆうすい」について この手水舎の水は、ご祭神「賀茂別雷大神」がご降臨された神山のくぐり水を汲 み上げて使用しています。 歴史上特に由緒深い境内の井戸水と同じ水脈の名水であり、飲料用水質基準にも 適合しています。

手水舎の天井にも風鈴。

末社 橋本神社
御祭神 衣通姬神そとおりひめのかみ 延命長寿・心身を美しく輝かせる神様

樟橋(長寿橋)

御手洗川に架かる樟橋。

樟橋から川下。

樟橋から川上。

岩上(がんじょう)

賀茂祭(葵祭)には宮司この岩の上に蹲踞そんきょ、勅使と対面し、御祭文に対して神のご意志を伝える「返祝詞かえしのりと」を申す神聖な場所である。
太古御祭神が天降りされた秀峰神山は本殿の後方約2㎞の処に在り、頂きには降臨石を拝し、山麓には御阿礼所を設け厳粛な祭祀が斎行されてきた。
この岩上は神山と共に賀茂信仰の原点であり、古代祭祀の形を今に伝える場所である。神と人との心の通路でもあり、『気』の集中する場所である。

岩上 案内立札

摂社 須波神社

御祭神
阿須波神あすはのかみ 波比祇神はひぎのかみ 生井神いくいのかみ 福井神さくいのかみ 綱長井神つながいのかみ
五柱一座 心を静める癒しの神様 重要文化財

第一摂社 片山御子神社かたやまみこじんじゃ(片岡社)

縁結びの社
御祭神 賀茂玉依比壳命かもたまよりひめみこと
此の片岡社とは、賀茂別雷神社(上賀茂神社)境内に全部で二十四社ある攝末社の中でも第一攝社に定められる片山御子神社の別称で、上賀茂神社の神様・賀茂別雷神社の母神です。
賀茂玉依比売命をお祀りしています。
天正十九年(一五九一)には朝廷より最も高い神様の位である「正一位」という神位が奉授されており、片岡社に対する篤い信仰があったものと拝察出来ます。
また、片山御子神社の御祭神は平安の昔より縁結び、恋愛成就、家内安全、子孫繁栄、安産祈願の神様としての信仰が厚く、源氏物語の作者である紫式部も都々参拝をされたと伝わります。
紫式部と片山御子神社
『源氏物語』の作者である紫式部が当神社に参拝祈願された際に和歌を詠まれました。

賀茂にまうてて待りけるに、人の、ほとゝぎす 鳴かなむと 申しあけぼの、片岡の梢おかしく見え持ければ ほととぎす 声まつほどは 片岡のもりのしづくに 立ちやぬれまし

『新古今和歌集』巻第三 夏歌

賀茂別雷神社 第一攝社
片山御子神社
祭神 玉依比賣命
一柱一座
延喜式内の古社である。『延喜式』には、「片山御子神社」と載せている。賀茂縣主族の祭祀の權を握って居られた最高の女性、本宮御祭神別雷神を感得せられた神で、常に別雷神の御側に侍ってお仕え申し上げておられたのである。よって現在にあっても本宮恒例の祭祀には、先ず当神社に祭を行う例となっている。それは只今より御奉仕申し上げる本宮のお祭りは、御祭神の御名によって、お仕い申し上げる由を、予め奏上せんとする意味から行うのである。
古来第一摂社と崇められている。事情かくの如くであるので、皇室の御崇敬も厚く、本宮へ行幸、御幸等の場合は当社へも奉幣あらせられることが屢々あった。天正十九年六月十一日正一位を奉られている。古く当社の後ろに「よるべの水」を湛えた甕が三個あったが、天正年中汚穢の禍を懼れて地下に埋没したという。

片山御子神社 案内板より

絵馬掛け

拝殿

賀茂別雷神社 楼門

上賀茂神社楼門は1901年(明治34年)8月2日に国の重要文化財に指定されました。

造営は1628年(寛永5年)です。
2016年(平成28年)から檜皮葺ひわだぶきが耐用年数に達したことから屋根の葺き替えと塗装の塗り直し工事が行われました。楼門は境内で唯一塗装されている社殿で、直近では昭和50年代に塗り直されました。朱色には魔よけの意味があると言われています。また塗装することによって部材を保護する目的もあり、一般的に朱色には酸化鉄を主成分とする弁柄べんがらが使われ、朱色は丹土につちと言われています。また2017年(平成29年)に屋根の葺き替えと塗装の塗り直しは完了しました。

賀茂別雷神社(上賀茂神社)案内板

山城国一宮
賀茂別雷神社(上賀茂神社)
御祭神 賀茂別雷かもわけいかづち大神
御神德
厄除
雷の御神威により厄を祓い、災を除う厄除明神として広く信仰されている
方除
京都の鬼門の守り神として、方除の信仰
主な祭典
賀茂祭(葵祭)五月十五日 例祭
古く欽明天皇(六世紀)の御代より始まる。現在も皇室より勅使を御差遣になり祭が行われる。その行列は王朝絵巻を見るが如く優雅で、総勢五百名、列の長さ 八百米に及ぶ、京都三大祭の一つ。
競馬会神事 五月五日
当神社は競馬発祥の地と言われ堀川天皇の御代(十一世紀)より殊に盛んとなり今日まで連綿として続いている。
京都市登録無形民俗文化財
夏越祓 六月三十日
茅の輪をくぐり、人形を流して罪穢を祓い清め、無事で健康な生活を祈願する行事。
風そよぐならの小川の夕ぐれはみそぎぞ夏のしるしなりける 藤原家隆
と百人一首にも詠われているように、
当神社の夏越祓は鎌倉時代すでに有名であった。
からす相撲 九月九日
神事役がからす鳴き、からすの横飛びなどして、童子が相撲をし神覚に供する珍らしい行事。
京都市登録無形民俗文化財

賀茂別雷神社(上賀茂神社)案内板より

幣殿へいでん(祈祷殿)

寬永五年(一六二八年)造替
重要文化財

奉納された酒樽。

本殿雛型ひながた

平成27年10月の第42回式年遷宮正遷宮を記念して、南丹市・学校法人二本松学院 (京都美術工芸大学及び京都伝統工芸大学校)の学生達が、講師陣の指導のもとに技術の粋を結集し、 本殿 (国宝) 原寸の十分の一寸法で細部に至るまで精巧な雛型 (模型)を作製、奉納されたものとの事です。

賀茂別雷神社 社殿

中門

楼門をくぐると国宝である本殿や式年遷宮の際に仮の本殿となる権殿ごんでんがありますが、通常は非公開となっています。本殿の手前の中門から参拝できます。

御祭神を祀る本殿と常設の仮殿である権殿(ごんでん)は共に文久三年(一八六三)造替で「流造」の典型として国宝に指定され、その他の御殿は概ね寛永五年(一六二八)造替でその殆どが重要文化財に指定されており、平安時代より変わらぬ佇まいを残すところから境内全域が平成六年に世界文化遺産に登録されました。

拝殿前から楼門を撮影。

末社 棚尾神社

御祭神 櫛石窓神くしいわまどのかみ 豊石窓神とよいわまどのかみ 二柱一座 家内安全・家族の絆を強める神様 重要文化財

御物忌川

御物忌川沿いに川上方向へ歩きます。

末社 川尾神社


御祭神 罔象女神みずはのめのかみ
迷いを取り除く神様

正面から。

さらに奥へ進む。

摂社 神宮神社と末社 山尾神社

こちらから中には入れません。

伊勢神宮 遥拝所

末社 岩本神社

御祭神 表筒男神うわつつのお 中筒男神なかつつのお 底筒男神そこつつのお
三柱一座
交通安全の神様

二葉姫稲荷神社の入口

渉渓園の端へ出ると等間隔で朱色の鳥居が並んでいます。こちらは二葉姫稲荷神社の入口となっています。

庭園「渉渓園」

「ならの小川」の傍らに庭園「渉渓園」があります。「渉渓園」は昭和35年(1960)浩宮徳仁親王(現天皇陛下) の生誕の奉祝行事として整備された庭園で、曲水の宴などの神事が行われてきました。

渉渓園 案内板

庭園渉渓園について
この地は上賀茂神社境内奈良の小川の上流御手洗川の東岸摂社賀茂山口神社の前庭に位置し約五百坪の地で古くは神宮寺の小池が存在した所と伝える。
昭和三十五年皇孫浩宮徳仁親王殿下御生誕の奉祝行事として嘗て当神社に於て催された曲水の宴を復活せんが為それにふさわしい庭園を造ろうとして当時の府文化財保護課技師 中根金作氏に委嘱され平安時代末期頃の庭園として設計され渉渓園と名付けられた。
又この地は北縁の鶴岳の鬱蒼たる翠岳を負い東方には境内林の巨木を帯し南方は広闊なる境内芝生に連なる 園の中央部に南北に曲溝を穿ち御手洗川の分流沢田川より分水して緩流を通した。その曲流を中心に桜楓樹を常盤木に配し躑躅馬酔木や灌木を添え所々に石組みを施して風趣にみちた頗る清楚な姿を現出した。
然れども昭和三十五年に復活された曲水宴も再度中止のやむなきに至り園も荒廃するにまかせた。然るところ京都紫野ロータリークラブが平成五年度社会奉仕事業の一環として園の整備とその保存会結成に努められた。時恰も皇太子徳仁親王殿下御成婚の儀が斎行され、明けて平成六年平安建都一二〇〇年、当社第四十一回式年遷宮斎行の年であり、奉祝記念事業として曲水宴が復活されることになった。
この庭園に展開される曲水宴は平安時代のそれを再現するもので詩歌の吟詠管弦の弾吹奏はさながら楽王の神遊びもかくやとばかりに真に一幅の活画であるといえよう。又御手洗川の流水を隔ててその西方に連なる苑林(朝鮮李朝の庭園を模したと伝える)と相並んで当神苑として永く保存されなければならぬ。

案内板より

渉渓園の様子

小さな川が流れています。

睦ムツミの木

このスダジイの木は、三〇〇年以昔より
この大地に根ざし、一つの根より何本も伸びているところから、一つに結ばれた仲睦まじい家族を表し、家族の絆や家内安全を見守って下さいます。そっと手を合わせお祈り下さい。

願い石 (陰陽石おんみょうせき)

「願い石」(陰陽石おんみょうせき)
この渉渓園は、古くの龍の住む池があったと言われ、池の底より出土した「陰陽石」は陰と陽が極まり融合した(実った)姿を現しています。両手で同時に手を触れ、そのお力を頂いてから賀茂山口神社にお参り下さい。

願い石(陰陽石) 立札より

渉渓園中央部にある小川は御手洗川の分流沢田川より分水して流れ、ならの小川に注がれます。

急激なカーブ。

賀茂山口神社(沢田神社)拝殿


平成二十九年九月末 本殿と共に京都府暫定登録文化財登録

摂社 賀茂山口神社

御祭神 御歳神みとしのかみ
商売繁盛・子供の成長を見守る神様

渉渓園を出ると、ならの小川が参道の東側から境内の外へと注いでいます。流域の途中には摂社「奈良社」や、山森神社、梶尾神社があります。
“ならの小川”は、傍らに楢(なら)の木があったことがその名の由来とされています。

摂社 奈良神社】

御祭神 奈良刀自神ならとじのかみ
学業成就・料理技術向上の神様

北神饌所(庁屋)

北神饌所きたしんせんしょ(庁屋ちょうのや)
往古の神饌調進所、中古政庁として活用した。五月賀茂競馬又能舞台等として使用。
寛永五年(一六二八年)造替
重要文化財

山森神社、梶尾神社の脇を流れるならの小川。

末社 山森神社

御祭神 素戔嗚神すさのおのかみ 稲田姫神いなだひめのかみ 田心姫神たごりひめのかみ
三柱一座 病気を治す神様

末社 梶尾神社

御祭神
瀬織津姫神せおりつひめのかみ
下の病の神様

御朱印

Googleマップ 賀茂別雷神社

上賀茂神社(賀茂別雷神社) · 〒603-8047 京都府京都市北区上賀茂本山339
★★★★★ · 神社

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