寝屋川市駅から徒歩数分の圏内にある。八坂神社神社の創建は643年頃と伝えられる。仁徳天皇の頃、茨田の堤を築き茨田の池を造り農業用水にしていたが水が腐敗し疫病で多くの住民が死亡したので播州廣峯神社に疫病平癒の祈願を行い廣峯神社の分霊を播州より勧請し小社を建立し祇園社と名づけたことが始まりとのこと。
【神社名】
八坂神社
【鎮座地】
〒572-0838
大阪府寝屋川市八坂町11-13
御祭神
素盞鳴命 住吉大神
【祭日】
例祭 10月16日
八坂神社周辺マップと路線経路

八坂神社入口

【参道入口】

【蹴鞠を踏む狛犬阿形】

【子の背をさする狛犬吽形】

【参道】

さざれ石(細石)
参道にある“さざれ石”

【日本国 国歌】

【鳥居】

境内の様子
【八坂神社略記】





八坂神社 社殿

四本のクスの木
八坂神社境内には寝屋川市が保存樹にした四本のくすのきがある。市が保存樹に指定した4本のくすのきの他にも、15本のクスが育っている。
大きな幹が三本立になっているクスノキ。

樹種名 クス(3本立) 樹齢推定650年との事

楠木大明神




八坂神社のクスの木
寝屋川市
ここ八坂神社の境内には、寝屋川市が保存樹に指定した四本のクスの木の他にも、十五本のクスが育っています。
最も大きなものは、高さ約十五メートル、周囲約七メートル、樹齢は六五〇年
以上と推定されますが、一千年を超えるという説もあります。
これらの大樹は社殿をとりかこみ、一層荘厳さをかもしだしていますが、電車の窓から見える美しい緑の樹冠は、乗客にもひとときの安らぎを与えてくれます。
また、神社の創建を伝える史料は現存しませんが、明治元年(一八六八年)に八坂神社と改称する以前は、牛頭天王社(こずてんのうしゃ)や祇園社(ぎおんしゃ)などと呼ばれていました。
絵馬に囲まれたクスノキ

手前のクスノキは樹齢推定250年との事

干支絵馬額殿
大きな干支絵馬が飾られている。



顕彰碑(けんしょうひ)

七福神

稲荷神社
豊受姫神 とようけひめのかみ
倉稲魂命 うかのみたまのみこと

大阪府寝屋川市八坂町11-13御祭神
素盞鳴命、住吉大神祭日
例祭 10月16日由緒
当社創建年代は不詳なれど、第三十五代皇極天皇二年(西暦六四三年)の頃と伝えられる。第十六代仁徳天皇の頃、茨田の堤築かれしより、河内平野東部を南北に走る山脈丘陵に源を発し、高宮台地に迫り南に流れたる水が此の地に滞留し、広大な池となる。これを茨田の池と云う。
大阪府神社庁ホームページより
皇極天皇二年七月、この池の水腐敗し、口黒く身白き小虫わきて池を覆う。翌七月、その虫悉く死し、その死骸水面十糎から十五糎の厚さとなる。その為池の水藍汁の如く変じ魚類死滅、悪疫発生し住民死亡する者多し。ここに於いて里人困窮し播州廣峯神社に疫病平癒の祈願を行う。霊験著しく、日成らずして終息す。人々これを忘れざるため、神恩報謝の心を以って其年、廣峯神社の分霊を播州より勧請し池の辺りに小社を建立。これを祇園社と称え里の守神として斎奉る。
その後爾来年月を重ね、池の水渇き芦原となるを以て開墾し、数十町歩の農地を生ず。処々に五穀豊穣を祈願し豊受姫の命住吉大社を合祀し相殿斎奉る。
当祇園社は代々茨田の池の茅を以って屋根を葺き、二十年毎に葺き代えしが、万延元年正月(西暦一八六〇年)時の代官多羅尾民部に願い出、永世不朽の瓦葺入母屋造りとす。現在の社殿是なり。
住吉大神の合祀については、分明ならざるも、当時の交通は殆ど舟により行われたるを以って、水利に恙なきを祈りて水路交通を掌る神、住吉の四神を迎え相殿に斎奉った。
年代は徳川初期と推定される。前記伝承の通り当神社奉斎の起源は病気、災難、厄(厄歳の災)を含めた厄除と、五穀豊穣の守護神とした社であり、同時に生れた土地、住まっている土地を守る産土神社的な性格をもって栄えてきた。
厄除けの霊験殊にあらたかで、祈願して災厄を免れた多くの人が遠方よりお礼参りに訪れる。

Googleマップ八坂神社
八坂神社 072-821-2656


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