大川(旧淀川)に架かる毛馬橋の東側、城北公園通沿いの都島区毛馬町に鎮座する神社です。
創建は不詳です。平安時代初期にはこの地に鎮座していたと言われますが、明治の神社合祀政策により一度、姿を消し戦後に、昭和二十八年(1953年)に地元住民の手により復祀されました。
当時、淀川河口の海賊を取り締まるための役人が配備され、それらの役人によって全国の名だたる15柱の神々を祀っていたことから十五神社と呼ばれていました。
周辺マップと路線経路
淀川神社 入口
【鳥居】
【社号標】
【鳥居の額】
境内の様子
【手水舎】
【社務所】
社殿
【狛犬 阿形】
【狛犬 吽形】
【社殿】
【拝殿】
【十五神】
十五神を祀った事から「十五神社」と呼ばれるようになったと伝えられています。
【絵馬掛け】
境内社 稲荷神社
【稲荷社の立札】
御祭神の宇賀御魂神は、五穀豊穣、殖産の神であり、福富円満・商売繁盛・家内安全・社運隆唱の御神徳を有しております。
立札より
イナリと称されるわけは、この神の「腹中に稲生れり」という言葉から、稲生・稲荷となったといわれます。
宇賀御魂神は狐ではなく。古来、農民が身近にいる狐の神秘的なしぐさを霊獣とみなし、田の神の使いとも信じており、いつしか稲荷神と狐とを結びつけての信仰が広がりました。宇賀御魂神のお使いが狐です。
境内社 紀州加太 淡島神社
【淡島神社 立札】
紀州加太 淡島神社
立札より
御祭神 の少名比古那神は小さな神様ですが、神代の昔、人のみならず、鳥や家畜に至るまで諸病を治す薬法をお定めになりました。
また、女性の幸福を特に御守護下さり、婦人病に罹らず丈夫な子を持つと信ぜられ古くから婦人病に効験あらたかとみなされてきました。
故に医薬の親神様と称えられる御神徳の高い神様です。
与謝蕪村像
本殿前には江戸時代の俳人、与謝蕪村の銅像がある。蕪村像は大阪文化の活性化を目指すNPO法人により蕪村の生誕300年記念事業の一つとして発案され、神社との協力の元で設置されたそうです。銅像は高さ約65cm、幅約70cm。
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