味生神社は大阪モノレール本線・南摂津駅から徒歩約12分ほどの辺り、淀川のすぐ北側の一津屋に鎮座されております。また、1.5キロほど北の別府には同じ読み方の味府神社が鎮座されます。
当社は、もと宇宮ノ内にあり天照大神、 若一王子、八幡大神を祀り、鯵生宮と称した。
創建年代は詳らかではないが、古くより在し、延暦4年(785年) 三国川(現在の神崎川)を改修するに及び、玉垣を分けて、若一王子を現在の場所に祀った。当社の地は、熊野詣の通路にあたり京よりの往来が多かった。慶応3年(1867年)に天照大神、素盞男命、八幡大神の三神を祀り、味生神社と称した。
慶応3年(1867)淀川大洪水害の後、明治2年(1869)王政復古右仰出に依り、祭神を現在の三神に改め味生神社と稱し今日に至る。
周辺マップと路線経路
味生神社 入口
【大西多治郎像之跡】
【宮ノ下渡し跡】
昭和29年の鳥飼大橋完成によって姿を消しましたが、摂津、守口を結ぶ重要な交通の役割を果たしていました。
宮ノ下渡し跡
立札より
宮ノ下渡しは、河内大庭大切と摂津嶋下郡一津屋村宮ノ下を結ぶ渡しで、戦国時代末の永禄年間(一五五八~六九年)から存在したと伝えられており、川幅も約三〇〇間(約五五〇メートル)あったとされています。宮ノ下の小字の駒頭から、駒頭渡しとも呼ばれていました。
『一津屋村志』(明治十二年、稿本)には「渡船場有リ、駒頭渡卜称シ、本村ノ中央、即チ河内国七番村二通スルモノ、広サ三百七間四尺、渡船二艘、私渡ナリ」と記しています。
昭和二九年の鳥飼大橋完成によって姿を
消しましたが、鳥飼の渡しとともに摂河を結ぶ重要な交通上の役割を果たしてきました。
【武功表彰碑】
【鳥居】
【社号標】
鳥居をくぐると参道。
摂津市立第六集会所(旧一津屋公会堂)
境内の左側に古い建物がある。
摂津市立第六集会所と書かれている。
初見の印象では小学校跡かと思いましが、大正2年(1913)、約100年以上前には芝居小屋だったそうです。当時は旅回り一座などの芝居が行われていたそうです。
建物は木造2階建。建物内部には楽屋として利用できる地下室や、桟敷席、黒御簾があるとの事で現在は集会所として利用されているようです。
【手水舎】
【句碑】
昇殿の円座 畏し初神楽 中村秋童
隣は駐車場になっている。低い鳥居が奉納芳名帳になっている。
【社務所】
【絵馬掛け】
【由緒が刻まれた石碑】
味生神社 社殿
【狛犬 阿形】
【狛犬 吽形】
【社殿】
【拝殿】
拝殿前にも狛犬。
【本殿】
【神器庫】
【境內神社】
豊受皇大神社
御祭神 豊受皇大神
【北側の出入り口】
【鳥居】
こちらは裏手になります。
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