京田辺市の多々羅新宮前35、同志大学多々羅キャンパスの南に位置する。
由緒書によると、この地は欽明天皇の時代(509年~571年)、来朝した百済国人爾利久牟王の住居したところといわれています。爾利久牟王は鉄工業を伝えた人で朝廷より多々羅の姓を下賜された。
当社はその子孫のものが祖神と仰ぐ百済国余璋王を祭神として祀った氏神社であって、当時、帰化人がこの地に多く住んでいたことが察せられる。由緒はすこぶる古く素盞鳴命を祭神としている。元の鎮座地を不明ですが、一説には多々羅田中山にあり、一に田中山宮と称した。現在は朱智神社の境外末社となっている。
【神社名】
新宮社
【鎮座地】
〒610-0321
京都府京田辺市多々羅新宮前35
【御祭神】
主神
素盞鳴尊
百済国余璋王
【祭例】
十月十八日(現在は十月第二月曜日)
周辺マップと路線経路

新宮社 入口
【参道】
小さな集落を越えて、あまり神社らしくない感じ入口ですがこの先の階段を登ると鳥居が見えてきます。


同志社大学京田辺キャンパスの敷地となるが、 出入りは自由。

【鳥居】


【手水舎】

【境内の参道】
階段を登ると社殿。灯篭に急須のデザインがあります。

【新宮社 由緒書】

新宮社
京田辺市多々羅新宮前三五番地
この付近は欽明天皇にとき、我が国に来た百済人爾利久牟王の住居があった所と伝えられる。
この人は鉄工業を伝えた人で、朝廷から多々羅の姓をもらったとされる。
当社はその子孫のものが、祖神とする百済国余璋王を祭神として祭ったと伝える。
古くは多々羅田中山にあり、田中山宮と称したともいう。現在は天王にある朱智神社の境外末社となり、そのためか素戔嗚尊を祭神としている。かつてこの付近に渡来人がいたこと、彼らが鉄工業を行っていたことを窺わせることなど、京田辺市の古代史を考えるうえで興味深い所である。
祭例 十月十八日(現在は十月第二月曜日)
京田辺市教育委員会 京田辺市文化財保護委員会
新宮社のお社

【拝殿】

【拝殿内】

【お社】

百済国余璋王を祭神として祀った氏神社(うじがみしゃ)が起源とされ、田舎にあるある神社に見えますが歴史ある神社です。

木々に囲まれた素敵な神社。ここから北は同志大学キャンパスのグランドがある為、時折掛け声が聞こえてきます。

静かで、素朴、木々に囲まれたとても素敵なお社です。

Googleマップ新宮社
新宮社
コメント