阪急京都線の京都河原町駅から徒歩3分ほど、京阪の祇園四条駅から7分ほど。備前島町、蛸薬師通沿いに鎮座する小さな神社です。
街中のお稲荷さんながら創建は室町幕府にまで遡る。
もともと鴨川の中洲の「岬」に祀られていたお稲荷さんだったから「岬神社」。
その後鴨川の改修工事などによりこちらにあった土佐藩邸内に祀られることになり、土佐藩士はもとより近辺の一般の町人にも人気があってこのあたりの産土神とされている。
【神社名・別称】
岬神社・土佐稲荷
【鎮座地】
〒604-8023 京都府京都市中京区備前島町317
【御祭神】
倉稲魂命 ・ 石栄神
【御利益】
農耕・商売・土木・金工などの繁栄、火難除け、災厄除け
【例祭】
六月十日
周辺マップと路線経路

岬神社の入口

【案内 立札】

岬神社(土佐稲荷)
京都市
祭神は「倉稲魂命」と「石栄神」の二柱(柱は神様を数える
単位)。農耕・商売・土木・金工など諸業の繁栄、火難除けなどの
災厄除けにも御利益がある。
社伝では、室町時代初期、鴨川の中州の岬(突端)に祠を建てたのが由来とされている。その後、祠は鴨川の西岸など数度遷され、江戸時代初期、この付近に建てられた土佐藩の京屋敷内に遷されることとなった。一般に「お稲荷さん」の愛称で親しまれる「倉稲魂命」を祀るため、「土佐稲荷」と呼ばれるようになる。
以降、土佐藩士のみならず、先斗町・木屋町など周辺の町衆からも「産土神(地域土着の神)」として熱心な信仰を集め,わざわざ土佐藩邸内に,一般人が自由にお参りするための通路を確保したほどである。藩士たちの信仰も厚く、坂本龍馬や中岡慎太郎らも詣でていたと考えられる。
その後、明治維新により土佐藩邸が売却されると共に、神社も移転を余儀なくされ、その後幾多の変遷を経て現在地に鎮座,大正二年(一九一三)には近隣の氏子たちによって現在の社殿が建立された。
氏子地域は、北が三条通、南は四条通、東は先斗町、西は新京極。
例祭は六月十日。近年、氏子たちの力が結集された崇敬会が発足し、明治十年(一八七七)から伝わる神輿も修復され、例祭に巡幸する。

門をくぐると境内。

岬神社 境内
【狐の狛犬】


【由縁の志士】
境内に入ってすぐに、坂本龍馬像。

【鳥居】

本殿の前の大きな赤提灯。

【社殿】
明治維新により土佐藩邸が売却されると共に、神社も移転を余儀なくされ、その後、幾多の変遷を経て現在地に鎮座。
大正二年(一九一三)には近隣の氏子たちによって現在の社殿が建立された。

坂本龍馬の肖像画が掛けてあります。

岬神社 拝殿


岬神社(土佐稲荷)Googleマップ
岬神社(土佐稲荷)


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