大阪の神社

大阪の神社

民間に囲まれた神社。洪水から田畑や人々を救った石津の竜神さま伝説が残る。
寝屋川市 石津中町
若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)

昔、田植えがすんでから大雨で村が湖に浮かぶ小島に見えるほど降り続いた。竜神様が現れて雨が止んだという。その地域を石津の竜神様として今はここを祀っているとのこと。
大阪の神社

仁徳天皇の時代、淀川の洪水を防ぐために造られた茨田堤の人柱伝承が残る。
寝屋川市 太間 太間天満宮(たいまてんまんぐう)

創建年代等は不詳。寝屋川市は淀川沿いの太間町に鎮座する。この辺りは茨田堤の衫子断間のあった場所だといわれている。 その衫子断間の伝承の後、衫子をお祀りした小社を建てたのが始まりとの事。また衫子は、友呂岐神社の祭神になっている。
大阪の神社

樹齢数百年の椎(シイ)の大樹が群生。建仁3年 (1203年)に古松のあったところに社祠を建て、大和国、春日神社から勧請して、氏神にした国松町の春日神社(かすがじんじゃ)&導きの神、国松小社。 寝屋川市 国松町

建仁三年 (1203)に古松のあったところに社祠を建て、大和国の春日神社から分霊を勧請して、春日神社と呼んで氏神にしたとのことです。
大阪の神社

門真市に二社ある産土神社。こちらは通称“上馬伏の宮さん”と呼ばれる城垣町の産土神社。
門真市 城垣町
産土神社(うぶすなじんじゃ)

門真市城垣町にある小さな神社。門真市には産土神社が二社ある。こちらは城垣町の方の神社。 創建年代は不明、隣接する宮寺に当たる宝蔵寺の御本尊が平安時代十三重石塔の残っており鎌倉時代のものという事でこの土地の歴史は古く創建もその頃。
大阪の神社

小さめだけど綺麗な神社。境内社に「厳島神社(龍神社)」がある。
門真市 下馬伏町 菅原神社(すがわらじんじゃ)

創建は不明。ご祭神が菅原道真。門真市下馬伏しもまぶしに鎮座する「菅原神社すがわらじんじゃ」。 大阪府道21号八尾枚方線沿いから少し西にすぐある。境内は非情綺麗だが小さめの神社。また末社に龍神社が鎮座する。
大阪の神社

寝屋川沿いの住道地区の氏神。延宝七年の「三箇村検地帳」には既に名があり、当時は「氏神天満宮」と称されていた。
また、この地は「三箇城址」と書かれた碑が立ち、飯盛山城の支城であった三箇城があったとされる候補地の一つ。
大東市 三箇 三箇菅原神社(さんがすがわらじんじゃ)

大東市に3ヶ所ある菅原神社。そのうちの三箇にある菅原神社。他には御領と深野北がある。創建年代は不明。1679年の三箇村検地帳には氏神天満宮の名で記されています。 境内西側には、かつて水月院という宇治興聖寺の末寺があり神仏習合の様相が見られた。
大阪の神社

寝屋川市駅から徒歩数分の圏内にある。八坂神社神社の創建は643年頃と伝えられる。播州廣峯神社に疫病平癒の祈願を行い分霊を播州より勧請し小社を建立し祇園社と名づけたことが始まり。寝屋川市 八坂神社(やさかじんじゃ)

寝屋川市駅から徒歩数分の圏内にある。八坂神社神社の創建は643年頃と伝えられる。仁徳天皇の頃、茨田の堤を築き茨田の池を造り農業用水にしていたが水が腐敗し疫病で多くの住民が死亡したので播州廣峯神社に疫病平癒の祈願を行い廣峯神社の分霊を播州より勧請し小社を建立し祇園社と名づけたことが始まりとのこと。
大阪の神社

鶯(うぐいす)の名所に関所があったことから「鶯の関」とも言われ鶯関神社として堀溝の地域に鎮座する。 鶯関神社(おうかんじんじゃ) 寝屋川市 堀溝

寝屋川市の最南端、門真市巣本と四條畷市蔀屋に挟まれた地域にある鶯関神社。堀溝の里は東に生駒山、飯盛山の峯々を目の前にして、氏神様が祀られている。
大阪の神社

京阪電鉄寝屋川市駅のすぐの木田町に位置する神社。別称ねや川戎神社。ねや川のえべっさんとして親しまれている住吉神社。寝屋川市 木田町

住吉大神(息長足姫命)・春日大神(武甕槌命)・戎大神(事代主命)の三柱が御鎮座されており古来より三社大明神として親しまれている。
大阪の神社

毎年成人の日には、元和元年から続く近郊に知られた神事“お弓式”がある神社。 寝屋川市 香里本通町 友呂岐神社(ともろぎじんじゃ)

寝屋川市には“ともろぎ神社”が二つある。一つは木屋町の鞆呂岐神社で淀川の左岸側にある。こちらは香里本通町にある友呂岐神社。
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