ニワトリと日本最古の神社、奈良の石上神宮(いそのかみじんぐう) 天理市布留町

奈良の神社

【主祭神】
布都御魂大神ふつのみたまのおおかみ 神体の布都御魂剣ふつのみたまのつるぎに宿る神霊。
配神
布留御魂大神ふるのみたまのおおかみ 十種神宝に宿る神霊。
布都斯魂大神ふつしみたまのおおかみ 天羽々斬剣あめのはばきりのつるぎに宿る神霊。
宇摩志麻治命うましまじのみこと
五十瓊敷命いにしきのみこと
白河天皇
市川臣命いちかわおみのみこと 天足彦国押人命(孝昭天皇皇子)後裔で、石上神宮社家の祖。

式内社(名神大社)、二十二社(中七社)。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
別名として、
石上振神宮、石上坐布都御魂神社、石上布都御魂神社、石上布都大神社、
石上神社、布留社、布留大明神
などがある。幕末から明治期には地元で「いわがみさん」と呼ばれていた。
『日本書紀』に記された「神宮」は伊勢神宮と石上神宮だけであり、その記述によれば日本最古設立の神宮となる。

石上神宮の基本情報

【神社名】
石上神宮いそのかみじんぐう

【鎮座地】
〒632-0014
奈良県天理市布留町ならけんてんりしふるちょう384

【式内社】
大和國山邊郡 石上坐布留御魂神社 名神大 月次相嘗新嘗
[社格]
旧官幣大社きゅうかんぺいたいしゃ

【御祭神】
[主神]
布都御魂大神ふつのみたまのおおかみ
布留御魂大神ふるよみたまのおおかみ
[配祀]
宇摩志麻治命うましまじのみこと
五十瓊敷命いにしきのみこと
白河天皇しらかわてんのう
市川臣命いちかわおみのみこと

周辺マップと路線経路

画像出典:© OpenStreetMap contributors

入口

【社号標】

【柿本人麿の歌碑】

柿本人麿の歌
をとめらが袖布留山の瑞垣の久しき時ゆ 思ひきわわれは (萬葉集巻四より)
歌碑の文字は元暦校本による石材は木堂町の厚志により旧内山永久寺北門の石を用ふ
高き二・三米 巾一・四米
この歌碑は天理ライオンズクラブが結成四周年を記念して山の辺道顕彰のために建立し当宮に奉献されしものなり
昭和四十三年四月七日

石上神宮

【大鳥居】

【参道】

【神杉】

境内には万葉集に「石上布留の神杉」と詠われる神杉が古くは数多く繁茂していた。
現在も樹齢三〇〇年を越える杉が数本あり、神杉と呼ばれている。

境内の様子

【社務所】

【休憩所】

社務所の向い側、鏡池の横にある休憩所。ニワトリに占拠されている事がある。
この建物は、古くは拝殿前にあった舞殿で、昭和15年(1940)に移築したものとの事です。
今の屋根は銅板葺となっている。

鶏は、夜明けに鳴くことで神の使いとして神聖視されている。また鶏の鳴き声は魔除けと考えられている。

鮮やかな色の羽根を持つ鶏。

【牛】

祓所はらいしょ
大祭など最も大切な祭の時、斎主・祭員さいしゅ・さいいんをはじめ参列者等を修祓しゅうばつする所です。
一段高くなり、全体に白い小石が敷き詰められている。
四方に注連縄が張り廻らされており、清浄な場所として、普段は立ち入ることはできまない。

【手水所】

楼門(ろうもん)【重要文化財】

鎌倉時代末期、第九十六代後醍醐ごだいご天皇の文保二年(1318)に建立されたことが知られ、重要文化財に指定されている。
往古は鐘楼門として上層に鐘を吊るしていましたが、明治初年の「神仏分離令」により取り外され売却された。

拝殿前から撮影。

拝殿(国宝)、本殿

【拝殿】

神宮への御崇敬が厚かった第七十二代白河天皇が、神宮の鎮魂祭ちんこんさいのために、永保元年(一〇八一)に宮中の神嘉殿しんかでんを寄進されたものと伝えられている。
建築様式の区分では鎌倉時代初期の建立と考えられている。拝殿としては現存する最古のものであり、国宝に指定されている。
文明二年修復、貞享元年上葺、享保十八年修補、元文五年上葺、寛政十年修復、安政六年屋根替、計六枚の棟札が現存している。

【本殿】
本殿当神宮の御神体である神剣「韴霊ふつのみたま」が禁足地の土中深くに祀られているという伝承があった。
明治七年八月に調査したところ、多くの玉類・剣・矛などが出土すると共に神剣「韴霊」が顕現され、伝承が正しかったことが証明された。
その後、明治四十三年から大正二年にかけて神剣「韴霊」を奉安するために本殿を建立し、この折に禁足地を北側に拡張し、当時拝殿西隣にあった神庫ほくらを禁足地内の南西の隅に移築して、現在の状態に整えられた。
神剣と共に出土した玉類などは、その多くが重要文化財に指定されている。

拝殿の周辺

鎧櫃よろいびつ

鎧櫃よろいびつ 一合

総高 九〇・五 縦 一〇二・三 横 一一八・〇
南北朝時代(応安二年・一三六九)
マツ材製の重厚な作りの鎧櫃で、覆蓋かぶせぶた造りとし、
大形の鉄錠前を備えている。蓋裏に「大和国山辺郡、布留大明神、御鎧唐櫃也、応安二年己酉、十二月廿五日(下略)」の墨書銘があり、南北朝時代の鎧櫃の基準作例として貴重な存在である。

石上神宮の摂末社

摂社せっしゃ 出雲建雄神社拝殿いずもたけおじんじゃはいでん (国宝)】

元来は内山永久寺うちやまえいきゅうじの鎮守の住吉社の拝殿。大正三年に現在地に移築された。
内山永久寺は鳥羽とば天皇の永久年間(一一一三~一八)に創建された大寺院であったが、神仏分離令により明治九年に廃絶したとのこと。
その後も鎮守社の住吉社は残されたが、その住吉社の本殿も明治二十三年に放火によって焼失し、拝殿だけが荒廃したまま残されていたので、神宮摂社の出雲建雄神社の拝殿として移築した。よってこの建物は内山永久寺の建物の遺構として貴重なもので、国宝に指定されている。
建立年代については、はじめは保延三(一一三七)年に建立され、その後二回の改築により現在の構造・形式になったと考えられている。

出雲建雄神社いずもたけおじんじゃ

延喜式内社で、草薙剣くさなぎのつるぎ荒魂あらみたまである出雲建雄神いずもたけおのかみをお祀りしている。

摂社

出雲建雄神社いずもたけおじんじゃ
出雲建雄神社いずもたけおのかみ
由緒
出雲建雄神ハ草薙剣ノ御霊ニ坐ス。
今ヲ去ルコト千三百余年前、天武天皇朱鳥元年、布留川上日ノ谷ニ瑞雲立チ上ル中、神剣光ヲ放チテ現レ
「今此地ニ天降リ、諸ノ氏人ヲ守ラムト」
宣リ給ヒ即チニ鎮座シ給フ

出雲建雄神社立札より

【猿田彦神社】

末社 猿田彦神社さるたひこじんじゃ
主祭神 猿田彦神さるたひこのかみ
配祀神 底筒男神そこつつのおのかみ 中筒男神なかつつのおのかみ 上筒男神うわつつのおのかみ 息長帯比売命おきながたらしひめのみこと
高靇神たかおかみのかみ
例祭 三月二十八日
由緒
住古祭王御前ト祢シ布留山上ニ祀ラレ明治十年現地ニ遷座明治四十三年内山永久寺鎮守社住吉社ノ祭神ヲ合祀ス

猿田彦神社立札より

【天神社】

【七座社】

摂社

天神社てんじんしゃ(西面)
御祭神 高皇産霊神たかみむすびのかみ
神皇産霊神かみむすびのかみ

七座社ななざしゃ(北面)
御祭神 生産霊神いくむすびのかみ 足産霊神たるむすびのかみ 魂留産霊神たまつめむすびのかみ 大宮能売神おおみやのめのかみ 御膳都神みけつかみ 辞代主神ことしろぬしのかみ 大直日神おおなみひのかみ

由緒
右二社ハ生命守護ノ大神等ニ坐ス古来当宮鎮魂祭関係深キヲ以テ上古ヨリ鎮座シ給フ所ナリ

天神社 七座社 立札より

鏡池

【石上神宮鏡池のワタカ】

天然記念物 石上神宮鏡池のワタカ
昭和二十八年三月二十三日指定
ワタカは、日本特産の魚で、琵琶湖及びこれに接続する淀川系産する鯉科の淡水産硬骨魚である。体は細長く側扁し、腹びれ基底から肛門までの腹縁部は竜骨状の突起縁を形成する。頭は小さく眼は大きい。口は眼より前方にあり、やや上に向く。胸びれ、背びれ、尻びれの前縁部は概して長い。体色は銀白色で、背部は緑青色である。体の側線は完全で下方に強く湾曲する。成熟した雄では、顆粒状の追星おいぼしが頭部、背面、胸びれにあらわれる。ヨシ場を主な生息場所とし、琵琶湖では湖南、湖東の沿岸や内湖に生息する。河川では下流域の“わんど”(入江)や、流れのほとんどない水路に多い。水草を主体とする雑食性である。
産卵期は六月~八月で日本産鯉科魚類のなかでは最も高い22℃~25℃の水温で、主として降雨後の夜間に産卵する。雄雌とも二年で成熟する。
奈良県下では、石上神宮鏡池のほか、東大寺鏡池に棲息する。

奈良県教育委員会

【吉田 宏歌碑】

をとめらの袖ふりし杜神さびて呼びとよむがに老杉の声

歌碑より

【歌碑】

みじかかる ひと世と思へ 布留宮の 神杉のほの そらに遊べる

歌碑より

【神恩感謝】

【阿波野青畝夫妻句碑】

いそのかみ古杉暗きおぼろかな
    青畝
よろこびを互いに語り天高し
   とい子

句碑より

鏡池の山側は遊歩道になっている。

諸霊招魂碑しょれいしょうこんひ
遊歩道の途中に建っている。
九月秋分の日にこの諸霊招魂碑の前で、ここに鎮まる諸霊に対し、お祭りが行われるとの事です。
「諸霊招魂碑」の文字は、富岡鉄斎(百錬)の筆。明治十二年四月建立と記されている。

石上神宮の樹木

【大イチョウ】

イチョウは古くより世界各地に繁茂し、化石が発見され、現生種は一種しかなく、「生きている化石」と呼ばれている。
大イチョウは、高さ約三十m、幹周り三.二六m、樹令は約三〇〇年。

Googleマップ石上神宮

石上神宮 0743-62-0900
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