忍陵神社は、大阪府四條畷市岡山にある神社。式内社で、旧社格は村社。神社名は、附近にある忍ケ丘駅(JR西日本片町線)の駅名の由来となっている。「にんりょうじんじゃ」と読まれることもある。
周辺マップと路線経路
南側の入口
【鳥居】
境内中腹の様子
中腹あたりに到着。この階段を上がると本殿。
階段前に狛犬。
【御勝山】
もはや勝利は 岡山の陣の 御勝山
忍陵神社立札より
中世期には地域豪族の丘城であったという。一六一五年五月の大坂夏の陣では、徳川秀忠が本陣をしく。
江戸期には忍岡を御勝山とも呼んだ。
【式内社 忍陵神社 案内】
式内社 忍陵神社(しのぶがおか)
当神社は今から一二〇〇余年前より当地域(岡山・岡山東・砂地区)の守護神 熊野皇大神(諸願成就・災難消除)、藤原鎌足公・大将軍神(日本最古の方除の神)・馬守大神(交通安全・家業繁栄)をおまつりしています。
古くは津桙社・大将軍社・馬守社と別々におまつりしていましたが明治・大正時代に三社が合祀され現在の社名に改称されました。又、醍醐天皇の延長五年に定められた延喜式内神明帳に記載された全国三一三二社ある延喜式内社(津桙神社)の一社でもある立派な鎮守様です。この歴史ある伝統文化にささえられてきた鎮守の森には、古墳時代前期(四世紀)の前方後円墳の石積石室が現存され、府下でも貴重な文化財であり戦国時代には当地が軍事上大へん重要な地に選ばれ、歴史上何度となく登場する処でありますが、特に大阪夏の陣では徳川方の本陣が設営され徳川幕府成立に大きな役割を成した場所でもあり縁起の良い処として、御勝山と称された由緒ある鎮守の森でもあります。
【忍陵神社案内板】
忍陵神社(SHINOBUGA SHRINA)
忍陵神社案内板より
鎮座地 四條畷市岡山2丁目7番12号旧地名河内国讃良郡甲可村大字岡山字忍ヶ岡349番地
御祭神 熊野皇大神
藤原鎌足公 馬守大神 大将軍神
由緒沿革 岡山村鎮座津桙社・砂東村鎮座馬守社・砂西村鎮座大将軍社を明治44年12月8日国の合祀指令により津桙社に合祀し地名に因んで忍陵神社と改称し現在に至る。
津桙社(TSUBOKO) 旧鎮座地 甲可村大字岡山字八幡山1260番地
河内国讃良郡6座の1つである延喜式内社
創建時は当地の豪族津桙氏の氏神であったが江戸期の神社縁起によると人王40代天武朝に熊野三山より熊野大神を勧請しお祀りしたと記され鎌足社は武運長久を祈って寛永11年に忍陵の古墳上にお祀りされた。
馬守神社(MAMORI) 旧鎮座地 甲可村大字砂字宮田162番地
創建年代は不詳であるが当地域は娑羅羅馬飼部・菟野馬飼部の居住地であった事より馬の生育を祈って建立されたと語り伝えられている。又斉明天皇行幸地、神功皇后軍馬の安全祈願とも伝われている。
大将軍神社(DAISYOGUN) 旧鎮座地 甲可村大字砂字中道231番地
創建年代不詳 方位の神として日本最古の方除守護神である大将軍神を祀る。
◎史跡(historic spot) 社殿の東側覆屋内に古墳時代前期の前方後円墳があり竪穴式石室が現存されている。埋葬者については不詳であるが江戸時代の古書には玉子の墓と記されている。
東側の入口
勇壮な 豪族ねむる 忍岡古墳
昭和九年室戸台風のあと修復中の社殿下から石室を発見。前方後円墳の全長は八七メートル。大阪でも著名な前期古墳で、府指定史跡。
【忍の岡古歌】
待人になどかたはらで
郭公ひとり
忍びの岡に鳴らん
法印覚寛夫木和歌集
見し人を忍の岡の
花すすき
なびくは招く心地こそすれ
登蓮法師古今集
ちはやふる神やきりけん
つくからに
ちとせのさかもこえぬべら也
僧正遍正古今集
忍陵神社 忍の岡古歌石碑より
雪ふれば木ことに花ぞ
さきにける
いつれを梅とわきておらまし
紀友則
【鎮守の森石碑】
鎮守の森
昭和五十九年十月十日
悠久の神域、氏神境内の荒廃を憂ふ氏神相議りて本殿の改修及び社務所、手水舎の新築、植樹、玉垣建立等大阪築城四百年に際し、神域設備を為し、些か崇敬の念を表する次第である。
式内社
忍陵神社氏子
【狛犬 阿形】
【狛犬 吽形】
ここを上がると本殿へ。
北東側の入口にも狛犬。
本殿
【手水舎】
【狛犬 阿形】
【狛犬 吽形】
【本殿】
【拝殿】
忍陵古墳(しのぶがおかこふん)
【忍岡古墳案内板】
忍岡古墳(大阪府指定史跡)
大阪府教育委員会
Historic : Shinobugaoka Tumulus
この古墳は、古墳時代前期(4世紀中ごろ)に築造された全長87mの前方後円墳です。標高36m、河内平野を一望できるこの場合に豪族が豪華な副葬品とともに葬られたのです。
古墳の発見は、昭和9年(1934)の室戸台風によって忍陵神社が倒壊し、その再建工事中に石室が発見されたことにはじまります。
翌年、京都大学によって発掘調査されました。石室は、長さ6m・幅1mで板状の石を丁寧に積み上げた立派な竪穴式石室でした。近年の研究で兵庫県猪名川産の石が使われていることがわかりました。副葬品は、紡錘車・鍬形石・石釧や小札・剣・鉾・刀子・矢じり・鎌などが見つかりました。(京都大学総合博物館蔵)。同年、地域の方々の熱意で覆家(おおいや)が建てられ保存されました。
長い間石室を保護した覆家ですが、平成7年(1995)年の震災によって傾いたのを機に覆家再建が計画されました。地域の方々の寄付を基盤に、平成14年(2002)12月、覆家が完成しました。このような貴重な竪穴式石室が保存され見学できるのは郷土の誇りです。
四條畷市教育委員会
畷古文化研究保存会
【覆家の中の古墳】
【光龍大神】
忍陵神社の樹木
推薦名木
四條畷市みどりと花の会
樹種名 櫟(くぬぎ)・黐(もちのき)
四條畷市
行者堂
忍陵神社に隣接した場所にある。
北河内では唯一の行者堂で独特な雰囲気。
【稲荷社】
【護摩台礎石】
【白龍大神】
【三輪大明神社】
【謎の社】
【お地蔵さんと地蔵堂】
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