紀伊山地の奥深い奈良県・十津川村。
一帯には世界遺産の熊野古道が通り、千年以上、人々の信仰を集めてきました。
標高1,000mを超える玉置山が聳え、その山頂近くに玉置神社が鎮座されます。
同社は「熊野三山の奥の院」と称され、古くから修験道の霊場として栄え、山岳信仰の聖地として、空海も立ち寄ったとされる場所です。
玉置山巨樹群のなかにあり、長らく「秘境」といわれてきた玉置神社ですが、熊野三山とそこへ至る参詣道が世界遺産に登録されたことで道路整備が進み訪れやすくなっています。
神社には、秋の例祭と元日、春の祭りの3日だけしか見られない日本でも珍しい神事があります。悪魔祓いの儀式、「弓神楽(ゆみかぐら)」。かつて玉置神社一帯は女人禁制だったため、今も男性が巫女に扮し、本物の弓と矢を使って悪魔退散を祈願する神楽を舞います。言い伝えでは、「玉置神社の神様が白い弓で荒神を撃退した」という故事にちなんで、弓神楽を奉納して悪魔退散を祈願するようになったそうです。
周辺マップと路線経路
※1000mのほぼ山頂にあるので車のアクセスがおすすめです。徒歩で登る人もいらっしゃるようですが、常に登り坂なのでかなり時間がかかると思われます。
玉置神社 入口(駐車場)
駐車場からの風景。
左は野迫川方面、中央は龍神方面、右は本宮方面。
参道 (入口)
【玉置神社 案内図】
【社号標】
【鳥居】
【参道】
【山之神】
参道の山側に鎮座されます。御祭神はです。
【枕状溶岩】
【天然記念物 玉置山の枕状溶岩堆積地】
県指定
奈良県教育委員会
天然記念物 玉置山の枕状溶岩堆積地
平成九年三月二一日指定
玉置山頂上付近にある枕状溶岩は、海底火山の噴火により噴出した玄武岩質の溶岩が水中に流れ出し、冷えて固まったものである。産出地帯は不規則な楕円体状または曲がった丸太状をなした岩石が積み重なったもので、一つ一つの内部構造は中心から放射状に割れ目がある。岩石の形状枕に似ていることから枕状溶岩と呼ばれている。
この地域の枕状溶岩は、長い年月の間に地殻変動などで地表に現れたもので、標高一、〇〇〇mの山頂付近に積み重なって存在していることは、日本列島や紀伊半島の形成を考えるうえで貴重な資料である。
この地域はブナ林が発達する環境条件であるが、枕状溶岩が堆積する地形・地質学的に特異な地域を反映して、ミズナラなどの落葉広葉樹を主体とする中にヒノキ、モミ、ツガなどの針葉樹、ヤマグルマ、ホンシャクナゲなどの常緑広葉樹を交え特異な群落が発達しており、植物学上からも極めて学術的価値が高い。
平成十年三月
【杉の巨樹群の石碑】
参道はここから少し下る。
左側の参道は道がゆるやか。
【ケーブルクレーン】
ケーブルクレーンは2個の塔間にワイヤーを張り, その上にトロリ(台車)を横行させて荷役を行う形式のクレーンです。
山の下へつづいています。
一際目を引く杉。参道から見える神代杉。
玉置神社 境内
【手水舎】
【玉置神社案内板】
玉置神社
社伝によれば当神社の草創は、神武天皇御東征の折、八咫烏の案内にて熊野より大和の地を目指す途上、この地にて十種神宝を奉じ身の安全を御祈願されたことに始まるとされ、古誌には第十代崇神天皇の御宇に天下安泰と悪魔退散を祈願して社殿が創建されたと記されています。
熊野と吉野を結ぶ修験道の大峯奥駈道が開かれて以降は、行場としても知られるようになり、古より現在に至るまで熊野三山の奥の院として人々の篤い信仰を集めてまいりました。
神社に伝わる弓神楽は、玉置権現が白木の弓を射て悪神を調伏したことに由来するとされ、左記の御神歌が伝わっています。熊野なる玉置の宮の弓神楽
案内板より
弦之音すれば悪魔退く
【鳥居】
鳥居をくぐると境内へ。
【天然記念物 杉の巨樹群解説板】
県指定
天然記念物 杉の巨樹群
昭和三四年四月一四日指定
スギは日本特産のスギ科の常緑針葉の高木で、全国各地に自生しているが、広く植林もされている。
古代より建築用材として利用されてきたため、全国的に巨樹・老木は少なくなってきている。この玉置神社境内にはスギの巨樹が多数あり、学術的にも価値が高い。その主なものは、平成九年の測定では次のとおりである。平成十年三月 奈良県教育委員会
胸高幹囲 高さ 神代杉 約 8.3メートル 約 20メートル 常立杉 約 8.6メートル 約 25メートル 磐余杉 約 7.0メートル 約 30メートル 浦杉 約 7.0メートル 約 28メートル 大杉 約 8.7メートル 約 40メートル
【玉置神社 案内図】
【絵馬、みくじ掛け】
玉置神社 社殿
玉置山の頂上の近く、標高1000m付近に鎮座する玉置神社は、第十代崇神天皇の時代(古墳時代)に王城火防鎮護(日本で都の守護神とした神々)と悪神退散のため、 創建されたと伝えられています。
入母屋造り内陣に三社を奉祀し、欅材の堂々たる社殿です。
鳥居前から撮影。
【鳥居と扁額】
【狛犬 阿形】
【狛犬 吽形】
【石垣】
石垣の一部に文字が刻まれていました。
文化十二年とあります。西暦1815年に石垣の切石を寄進されたものですかね。
階段から撮影。
【社殿前の灯籠】
【拝殿】
【拝殿内】
右殿
天照坐皇大御神
中央殿
國常立尊 伊弉諾尊 伊弉冊尊
左殿
神日本磐余彦尊
社殿前から鳥居を撮影。
社殿を撮影。
玉置神社 末社
大日堂社
大日堂社は、明治初期に廃止された大日堂を平成4年(1992)に再建したものです。建物は仏堂と社殿を折衷した堂社形式で建造され、外部を入母屋造りの神社建築とし、内部には六角堂を配置しています。
御本尊は木造双身大日如来坐像で、金剛界・胎蔵界大日如来が背中合わせに坐すかたちで表されています。また、二尊を安置する台座は輪転するように組み立てられていて、元号の奇数年には金剛界、偶数年には胎蔵界の大日如来像が正面を向くように回転祭が執り行われます。
なお、毎8日は堂の外扉を開けて六角堂を公開しており、毎年8月8日の例祭日には御堂内部の御本尊も御開帳いたします。拝観については建物の外部からに限り可能ということです。
神輿殿
神輿は、神道の祭の際に、神が御旅所などへ渡御するに当たって一時的に鎮まるとされるのが輿です。
毎年、10月24日は例大祭。この神輿が神社周辺を練り歩くお祭りです。
神武社
御祭神
迦具土神 速玉男神 高倉下神
若宮社
御祭神
住吉大神(底筒男命,中筒男命,表筒男命)
八幡大神(応神天皇 比売神(多岐津姫命 市杵嶋姫命 多紀理姫命)神功皇后)
春日大神 (武甕槌命 経津主命 天児屋根命 天美津玉照比売命)
夫婦杉、神代杉、大杉
神社境内から門をくぐると夫婦杉と神代杉があります。
夫婦杉(ふうふすぎ)
2つの巨幹が根元で一つになった夫婦杉。特に分岐部の巨大さが目立つ。夫婦杉通りる過ぎると、すぐに神代杉があります。指定天然記念物 奈良県指定天然記念物 杉の巨樹群として (S34年2月5日指定)
神代杉(じんだいすぎ)
幹に空洞があり樹高も20mと他に比べ高くない。樹齢3000年と伝承されています。
指定天然記念物 奈良県指定天然記念物 杉の巨樹群として (S34年2月5日指定)
大杉
玉置神社の境内で最大の巨樹、「玉置神社の大杉」です。高さは約50m、周囲11m。崖下から真っ直ぐに伸び上がる。樹齢は推定1,000年と神代杉よりはずいぶん若い。指定天然記念物 奈良県指定天然記念物 杉の巨樹群として (S34年2月5日指定)
天に向かって真っ直ぐに伸びています。
大杉のすぐ横の杉。こちらも大きい。
社務所
社務所・台所は昭和63年(1988)に国指定有形重要文化財となりました。
江戸時代末期、神仏混淆であった玉置神社の別当寺であった高牟婁院の主殿、庫裏として建立されたものです。
神仏分離後は社務所・台所及び参籠所として使用されています。棟札から文化元年(1804年)の建立と判明されています。
摂社・三柱神社
玉置神社境内に古くより鎮座されています。
三柱神社の御祭神は倉稲魂神・天御柱神・国御柱神の三柱です。
倉稲魂神は京都府の伏見稲荷大社で農業、商売繁盛などの神様として、天御柱神・国御柱神は奈良県生駒郡の龍田大社で風を司る神様としてお祀りをされていることで知られます。
三柱神社は別名「稲荷社」とも呼ばれますが、稲荷信仰が盛んになる前から地主神としてお祀りをされており、厄除けや心願成就さらにノイローゼ、海上安全にも霊験があるとされています。
毎年、3月の初午の日に行われる三柱神社の例祭は初午祭とも呼ばれ、10月24日に行われます。
【手水舎】
【鳥居】
【社殿】
【御祭神 案内板】
三柱神社
案内板より
祭神
倉稲魂神 天御柱神 国御柱神
この神社は稲荷社とも呼ばれ、玉置山
の地主明神でもあります。
古誌によれば、神使は白狐といはれ、極秘の霊験があり、厄除け、開運、狂気、ノイローゼ、息災延命、その他諸願成就、特に、洲浜の紋を持つ当社としては海上安全にその信仰を広く集めている。
出雲大社玉置教会
玉置神社境内にありますが、玉置神社の境内社ではなく、別の宗教法人との事です。
玉置神社の境内社・三柱神社の奥に古そうな木造の本殿。
廃仏毀釈(明治新政府の神道国教化政策に依拠しておこなわれた仏教排斥運動)の後、十津川村に点在した寺が全て全廃したため、葬礼などの儀礼に行き詰まった村民たちは、神葬祭が可能である出雲大社教に求めました。
明治19年には全村民が大社教に属したことから、その総元締めとして設立されました。また、例祭も明治19年から5月14日に斎行されています。
出雲社御祭神
立札より
出雲大社御分霊
合殿
十津川郷在中
氏子之祖諸霊
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