藤ヶ崎龍神様と妙得龍神様、二柱の龍神様が祀られている。藤ヶ崎龍神社の案内板によると歌人、画人として著名な巨勢金岡がここを訪れて風景を描こうとしたが、絶景雄大に過ぎて描けず筆を折ったと伝えられることから筆ヶ崎というとの事です。今は筆ヶ崎が転じて藤ヶ崎になったのだと思われます。
巨勢金岡とは
平安時代前期の貴族・宮廷画家。官位は従五位下・采女正。
少壮貴族の出身であったが、豊かな画才を朝廷に認められ、宇多天皇や藤原基経といった権力者の恩顧を得て活躍した。貞観十年(八六八年)から同十四年(八七二年)にかけては宮廷の神泉苑を監修し、その過程で菅原道真や紀長谷雄といった知識人とも親交を結んだ。
宮廷画や仏画の分野において多大な影響力を発揮した。しかし、その作品は一切現存してはいない。
藤ヶ崎龍神社周辺マップと経路
琵琶湖の湖岸道路沿い(県道559号線)の細い脇道に入った奥にあります。脇道の入口はかなり分かりにくいです。
藤ヶ崎龍神社入口
駐車場は数台分あり、目の前は砂浜になっています。
案内看板は藤ヶ崎神社となっています。
藤ヶ崎神社
万葉集や新古今和歌集にうたわれた水茎が岡
“あきかぜの日にけに吹けば水茎の 岡の木の葉も色づきにけり”(万葉集)“雁がねの 寒く鳴きしゆ 水茎の 岡の葛葉は 色づきにけり”(万葉集)
“水茎の 岡の葛葉も 色づきて 今朝うら悲し 秋の初風”(新古今和歌集)
寛平年間(八九〇年)歌人、画人として著名な巨勢金岡(こぜのかなおか)がここを訪れて風景を描こうとしたが、絶景雄大に過ぎて描けず終に筆を折ったと伝えられることから筆ヶ崎という。今は、この地に藤ヶ崎神社が建立されている。
藤ヶ崎神社 案内板より
大雨のあとだったからか、若干湖水が濁っていますが、空が青く絶景です。
藤ヶ崎龍神社
琵琶湖を一望できる場所に藤ヶ崎龍神社が鎮座する。
湖畔に寄せる波の音が素晴らしい。
湖と松の感じが良いです。
灯篭には藤ヶ崎龍神とあります。
注連縄が巻かれた二つの岩。
外宮は琵琶湖に面しており、彩色の鳥居と注連縄がまかれた岩が特徴的です。 こちらには藤ヶ崎龍神が祀られています。
大小の岩があちこちに。
内宮 妙得龍王神社
水茎の岡
平成七年十一月
秋風の 日にけに吹けば 水茎の
岡の木の葉も 色づきにけり
顕昭けんしょう
万葉集をはじめ古今、新古今等々の歌集
の中に天皇、公郷、法師、文人墨客達が、この水茎ヶ岡を読んだ歌は四十有余残されており、文芸史上随一の名勝地であったことがうかがわれる。
伝説によれば、巨勢金岡がこの名勝を画かんとしたが、余りの見事さに筆をすてたことから筆捨の岡、水茎の岡、筆ヶ崎、硯ヶ渕等の名を残している。又、この背後の山には、永正五年(一五〇八)九里氏が城を築き京を逃れ、足利義澄を迎へ十二代将軍足利義晴は生まれている。
近江八幡市教育委員会
【鳥居】
大きな岩の割れ目にできた空洞が内宮になっています。
中の様子。
内宮は巨大な岩と岩との間にひっそり佇んでいる。普段は金網で塞がれているが、参拝時は開けて入ることが出来ます。 こちらには妙得龍神が祀られています。
龍王ト龍神ナトハ夫婦ニテの石碑
“龍王ト龍神ナトハ夫婦ニテ 名高キ藤太家名藤原(江州蒲生郡牧村藤ケ崎神社ノ龍神略縁起)”
と刻まれています。
いい感じの石庭感。
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