大阪市 堂島川(どうじまがわ) 玉江橋~堂島大橋~船津橋

堂島川(どうじまがわ)

堂島川は、大川(旧淀川)から中之島で分かれ中之島の北側が堂島川。南側を流れるのが土佐堀川。
中之島西先端で堂島川と土佐堀川は合流し、安治川になる。

周辺マップ

画像出典:© OpenStreetMap contributors

玉江橋(たまえばし)

玉江橋は大江橋や渡辺橋と同様に、元禄期の堂島開発によって架けられた橋。
この時、古代大坂に架けられていたとされる堀江橋の名前で復活されたが、のちに玉江橋と変更されている。玉江の由来は、欽明朝のころ堀江で美しい玉が見つかり、堀川戎神社の御神霊としたが、その場所を玉江と呼んだという縁起から命名したとされている。

玉江橋から上流へ向け撮影。

中之島バンクス(NAKANOSIMA BANKS)

中之島バンクスは、京阪中之島線の整備に合わせ、河川敷地の新たな賑わい空間として、堂島川の堂島大橋から玉江橋の南側空間に平成21年に整備されたとのこと。

【京阪 中之島駅】

【夜の中之島駅】

 河川敷地占用許可準則の都市・地域再生等利用区域の指定を行い、現在、物販店や飲食店が入る水上複合施設や西日本初となる水上レストランが整備されている。

ライトアップされた堂島大橋を中之島バンクスから撮影。

中之島バンクスのホームページ

堂島大橋(どうじまおおはし)

堂島大橋は、大阪市のあみだ池筋(市道堂島十三線)の堂島川(旧淀川)に架かる、堂島と中之島とを結ぶ。

堂島大橋から上流へ向け撮影。

堂島大橋から下流へ向け撮影。

【堂島大橋 水の都・大阪に架かる橋】

大阪は、古くは「難波津」と呼ばれ、大陸との交易拠点として発展し、縦横に走る川や堀によって町が形作られてきた。
このことから「水の都」と呼ばれるようになり、これまでに数多くの橋が架けられきた。
堂島大橋は、水都大阪の中心地である中之島に架かる橋のひとつであり、夜間にはライトアップにより日中とは違う表情を見ることができる。

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【堂島大橋 長寿命化対策】

堂島大橋は昭和2年(1927年)に建設された国内唯一の形式を有するアーチ橋(非タイド下路アーチ)であり、地域のランドマークとして親しまれている。
 しかしながら、建設から90年以上が経過し、特に床組・床板の老朽化が進行していた。また戦前から戦後にかけて行われた地下水のくみ上げによる地盤沈下の影響で橋全体が低くなっており、船舶航行の支障にもなっていた。
 このため、健全な橋台やアーチ部材を残しつつ、床組・床板の取替え等を行う長寿命化対策を行い、あわせて桁下空間を確保した。

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【堂島大橋 戦災の履歴を伝える橋詰広場】

第二次世界大戦中、大阪は大空襲に見舞われ、焼け野原となった。堂島大橋の親柱には、その戦禍の激しさを伝える痕跡が残っている。
 橋飾塔にはブロンズメタル(青銅製の飾り)が取り付けられていたが、戦時中に供出されたと言われている。ブロンズメタルには、「工業の象徴」として瓦斯タンク、「商業の象徴」としてビルディングが描かれていたという資料が残っているが、詳細なデザインは不明である。

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上船津橋(かみふなつばし)

上船津橋(かみふなつばし)は、大阪市の堂島川に架かる新なにわ筋(大阪府道29号大阪臨海線)の橋。大阪市福島区玉川1丁目・3丁目と北区中之島6丁目の間を結ぶ。

船津橋(ふなつばし)

船津橋(ふなつばし)は、大阪府大阪市の堂島川に架かる橋。
大阪市北区中之島6丁目と福島区玉川1丁目・野田4丁目の間を結ぶ。

船津橋から上流へ向け撮影。

中之島 西側先端

端建蔵橋と船津橋に挟まれ、先端は少しだけうかがえる。

先端付近から河口側へ向けて撮影。

となりの端建蔵橋は工事中だった。

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大阪市 堂島川(どうじまがわ) 大江橋~渡辺橋へ

大阪市 堂島川(どうじまがわ) 渡辺橋~玉江橋周辺へ

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