大阪市 堂島川(どうじまがわ) 渡辺橋~玉江橋周辺

堂島川(どうじまがわ)

堂島川は、大川(旧淀川)から中之島で分かれ中之島の北側が堂島川。南側を流れるのが土佐堀川。
中之島西先端で堂島川と土佐堀川は合流し、安治川になる。

周辺マップ

画像出典:© OpenStreetMap contributors

渡辺橋~中之島を歩く

渡辺橋から中之島を下流方向へ向け歩く🚶🚶‍♂️🚶‍♀️

渡辺橋を下流側から撮影。

堂島川の上を阪神高速が走る。

【京阪電車 渡辺橋駅】

さらに歩く。

なんかキレイなビルディングを撮影。

田簑橋(たみのばし)

 田蓑橋は元禄時代、堂島開発によって架けられた橋の一つ。それぞれの橋には大坂に古くから伝えられた由緒ある橋の名や歌枕として有名な地名などから採って付けられたが、田蓑は古代の大阪にあったとされる八十八島の一つ、田蓑島に由来する。

田簑橋から上流へ向け撮影。

田簑橋から下流へ向け撮影。

【蛸の松(たこのまつ)】

南西側にあった広島藩の蔵屋敷の塀際には、蛸の松という姿の良い松の巨木があり、名所になっていた。近年、広島藩の蔵屋敷跡の発掘調査が行われ、大規模な舟入の構造などが確認された。

蛸の松
江戸時代、中之島には諸藩の蔵屋敷が建ち並び、屋敷前には各藩自慢の松が植えられていました。人々は屋敷の白壁と川の流れに映る松の景色を楽しんだといわれています。
なかでも、堂島川のほとりの久留米藩と広島藩の境の浜の松は、枝振りが蛸の泳ぐ姿に似ていることから「蛸の松」と呼ばれる名木でした。月の夕べや雪の朝の眺めはとりわけ美しく、絶賛されました。
江戸時代の「蛸の松」は地図に示す対岸にありました。明治維新後は、大阪府師範学校付属演習小学校(現大阪教育大学付属天王寺小学校)が大阪久留米藩蔵屋敷跡地に開校し、その同窓会は、この地の松に因んで「雛松会」と名付けられました。
その後、「蛸の松」は次第に樹勢が衰え、明治時代も終わるころ、枯死してしまいました。その切り株は現在、大阪教育大学に大切に保存されています。
このたび護岸の美化にあわせ、かっての風趣を偲んで、「蛸の松」をこの地に再現ましした。

平成十六年 雛松会

【大阪府師範学校跡碑(現・大阪教育大学)】

【大阪大倉商業学校跡地】

【花の散歩道】

花の散歩道
この散歩道は、2004年5月23日~26日に開催された第95回国際ロータリー年次大会(大阪大会)の成功を記念し、四季を通じて花と緑が楽しめる市民憩いの散歩道となることを願って、国際ロータリー第2660地区より寄付されました。

花の散歩道案内板より

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大阪市 堂島川(どうじまがわ) 大江橋~渡辺橋へ

大阪市 堂島川(どうじまがわ) 玉江橋~堂島大橋~船津橋へ

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Ristorante QUINTOCANTO(リストランテ クイントカント) · 〒530-0005 大阪府大阪市北区中之島3丁目6−32 ダイビル本館 1F
★★★★★ · イタリア料理店

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