西川緑道公園の西通りに鎮座するこぢんまりとしたお稲荷さんです。南へ役、約150mの場所に荒豊大明神が鎮座します。
由緒書きによると、延宝年間(1673~1681年)の創祀。元々は町内の富商深屋のお屋敷にあったそうです。
同家のその商いにあやかりたい住民のお参り希望者が増えたので屋敷の外に遷座されたとの事です。
また、安政年間(1854~1860年)の洪水の際に厨子が流れ着き、夕陽を浴びて光輝いていたので、それを奉戴し御神体とされたそうです。
戦前は今の境内より広かったそうですが、1945年(昭和20年)の空襲での焼失、区画整理などを経て、現在地に昭和28年7月25日再建、復興されました。
路線経路と周辺マップ
法隋稲荷 入口
【鳥居】
【狛犬 阿形】
境内、鳥居で迎えてくれます。顔の表情が特徴的です。
【狛犬 吽形】
台座に嘉永三年(1850年)と刻まれています。
【出水鉢】
由来 案内板
由来
昭和六十年五月吉日
法隋稲荷は今より約三百年前の延宝年間に創られた。
最初は町内の富商深屋の屋敷内にあり、同家の隆昌はそのお陰と人々詣ずる事を請い遂にこの地へ遷座せられたものである。又、当地は安政の頃、度々洪水ありその際一ヶの厨子深着し折からの夕陽を浴びて光荘を放っていたのでこれを奉載したと謂い豊字気比売神が御神体である以末幾星霜町の守護神として衆生済度をなしつつ今日に至る。
昭和二十年六月空襲に灰燼となったが町民の総意により壮麗なる社殿が造られ遷座式典には高松稲荷山山王渡辺日宣上人迎へ稀にみる盛儀が執行せられた。
同時に宗教法人として永久保存の道を講ぜられたり。
法随稲荷大明王 末社
安産の神様として信仰されていた「お産さま」との事です。昭和20年の戦災で本社とともに焼失したそうですが、毎年、美しい花を咲かせる桜の横に再建されています。安産の神様として、妊婦を見守っておられます。
法随稲荷大明王 社殿
社殿横には岩田町集会所があります。
【拝殿】
【本殿】
北側から境内を撮影。
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