由緒書きによると江戸時代、承応2年(1653)大洪水が発生し、その時、不審な石が流れ着き、子ども達は、その石を軽々と玩ぶ。母親が危ないと考え、その石を取り除こうと触ると石は微動だにしない。
その夜中、母親の夢枕に神が現れ、「汝その石を奉斉すれば童子たちを守護し、疫病災難を除くべし」とお告げがあり、村人は岩を御霊石としてお祀りする。
それから十数年後の寛文年間(1661年~1673年)また付近の川が氾濫し子供が流されましたが、御霊石にしがみつき奇跡的に子どもは助かったとの事です。
その御神体の石は祀られていないようです。
路線経路と周辺マップ
子守神社 入口
桃太郎大通りから歩いて2~3分ほどの場所に鎮座する小さな神社です。
【子守神社御由緒記 案内板】
子守神社御由緒記
子守神社社務所
鎮座地
岡山市野田屋町七十一番地
御祭神
阿須波神 波比伎神
御祭日
七月八日
藩主池田光政公の御治世の承應二年岡山に大洪水ありて当地に不審なる石、流れつきしま童たち、これを軽々と玩ぶ、母親危しと慮り、その石を取除かんと欲す然れども盤石の如く微動だにせず、人々驚愕せり。夜半、神、夢枕立ち給ひ「汝その石を奉斉すれば童子たちを守護し、疫病災難を除くべし」とお告げありて、忽ち消へ失せり。期して御霊石を子供荒神様と申して崇め奉る。
下り寛文年間、附近の川氾濫し、童子過ちて濁流に墜つ辛うじて流れ来る御霊石に、すがり一命を全うす、これ奇蹟なり、其後上下の崇敬最も篤く、御神徳は近郷近在まで汎く広まり、神慮まことに、あらたかであります。
今も尚子供の守り神として、子授、安産、子育学業成就、交通安全を祈り、参詣する人は、あと断ちません。
【鳥居】
【お社】
小さな境内、祠ですがキレイにされております。
Googleマップ 子守神社
子守神社 · 〒700-0815 岡山県岡山市北区野田屋町2丁目71
★★★★☆ · 神社
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