大和郡山市 稗田町 賣太神社(めたじんじゃ)

奈良の神社

JR郡山駅から徒歩20分ほど稗田環濠集落(村の周囲に濠をめぐらして外敵を防いだ中世の遺構で、ほぼ完全な形で残されています)の端に鎮座される神社です。西に佐保川、北に地蔵院川が流れます。
古事記の伝承者として知られる稗田阿礼(ひえだのあれ)を主祭神と祀り、現在は童話の神様として親しまれています。また、天鈿女命、猿田彦命を副斎神として祀ります。

【書籍】 古事記 稗田阿礼


稗田阿礼命は学問の神、物語の神。天鈿女命は芸能の始祖神。猿田彦命は土地・方位の神であり、天鈿女命の夫神です。
稗田は天鈿女命を祖とする猿女君稗田氏の本拠地であり、祖先の神社として推古朝時代(593~628)までには創建されたものとみられる。奈良時代(710年~784年)には、稗田集落西辺に、平城京に通じる水陸両用の主要幹線道路である「下つ道」もあり、そこから多数の祭祀道具が発掘されたため、かつてこの神社は平城京の羅城門付近に存在しており、都に出入りする人々の穢れを払い、交通の安全を祈願する神事の場所でもあったとの事です。
社名の由来は、猿女君が天皇より多くの田を賜り、その田を猿女田と呼びました。
その持ち主を猿女田主と呼んでいたため、後に「猿」の字を略して「女田主」と呼ぶようになり、その祖神を祀るこの神社を「賣太神社」と称する事になった説が有力です。
江戸時代までは「三社明神」と呼ばれ、1874年(明治7年)に「十三社明神」となり、1891年(明治24年)に「賣田神社」、1942年(昭和17年)に現在の「賣太神社」に改称しました。

古事記に関する書籍

賣太神社の基本情報

【神社名】
賣太神社めたじんじゃ 売太神社めたじんじゃ

【鎮座地】
〒639-1108
奈良県大和郡山市稗田町ならけんやまとこおりやましひえだちょう319

【御祭神】
【主神】
稗田阿礼ひえだのあれ
【配祀】
猿田彦神さるたひこのかみ 天鈿女命あめのうずめのみこと

【式内社】
大和國添上郡 賣太神社

【社格】
旧県社きゅうけんしゃ

周辺マップと路線経路

画像出典:© OpenStreetMap contributors

賣太神社 入口

駐車場から賣太橋を渡る。

【社号標】

【鳥居】

【賣太神社御由緒書き】

賣太神社御由緒
社格 延喜式官幣社
旧県社
御祭神
主斉神 稗田阿礼命
副斉神 猿田彦神
副斉神 天鈿女命
稗田阿礼命
この稗田の地は太古の昔より朝廷に奉仕した猿女君稗田氏族の居住地であって天武天皇の舎人稗田阿礼はこの一族として出仕したのである。
天皇は阿礼が記憶力理解力共に抜群で、学芸諸の方にも秀でていたのをお褒めに
なって御自らご精選になった歴代天皇ので事績と建国以来の歴史・神話・伝説・
歌謡を直接お授けになった。
この誦習った事柄を三十有余年後の元明天皇が太朝臣安萬侶に記録させられた
書物が古事記である、之はわが国最古の文学書であり、古代人の生活・習慣・思想等が書かれており、祖先の考え方や生き方を偲ぶのに貴重な書物である。
今日阿礼様の広大無辺のご霊徳を偲び学問の神・知恵の神として信仰が厚い。
猿田彦の神
天孫降臨の際、道案内され、後に天女命の彦神となられた神様で、土地・方位の
神として全ての物事の初め、即ち新築・移転・旅立ち・結婚等に災難や悪魔を祓い良い方に導き給うご霊験あらたかな神様である。
天鈿女命
猿女君稗田氏の太祖で天岩戸隠れの神事にたらいを伏せ葬をまわられた女神様で
オタフク又はオカメの愛称を持つ福の神・芸能の始祖神として親しみを持って信仰されている。

解説板より

境内の様子

【社務所】

【みくじ掛け】

【参道】

【手水舎】

【昭和十年第五回阿礼祭に建立の句碑】

【句碑 解説板】

言霊の 景には秋なし神の森 小波(さざなみ)
句碑は昭和十年第五回阿礼祭に建立
当時の日本三大口演童話家の一人岩谷
小波氏本人の揮毫による。
阿礼祭は、大正時代の末に末に童話の大家久留島武彦氏が「西洋のアンデルセンのようなお話の神さまにふさわしい、『日本のお話の神さま』として稗田阿礼令讃えよう」
と提唱され、奈良県童話連盟をを始め全国の児童文学者等により昭和五年八月十
五日より三日間に亘り第一回阿礼祭が
執行された、その時の記念碑がこの奥に
ある。
右の「かたりべの碑」は第五十回阿礼祭を記念して、昭和五十五年五月五日に
全国のかたりべにより建立さた。
阿礼祭は昭和、平成の歴史と共に歩んできました。

解説板より

【かたりべの碑】
第五十回阿礼祭を記念して、昭和五十五年五月五日に建立さた。高さがあり、大きい。

【賣太神社周辺の奈良北部図】
稗田遺跡、稗田遺跡の祭祀具、稗田集落などの案内が掲載されています。

【稗田遺跡】
幅12m、長さ17mの橋が出土し、 川跡からは当時の人々の祈りと願いを込めた、墨書人面土器や、 我が国で最初の貨幣である和同開珎などが多量に検出された。

【稗田遺跡の祭祀具】
木製人形 刀形 馬形 鳥形 斎串 土馬 墨書人面土器 ミニチュア竃

【稗田環濠集落】
東西250m、南北200mの環濠は、東北角が段階上に七曲りし、西南角が南方に突出した形態で、古代中国の古城に一致している。最大規模であることと、原型に最も近い姿で現存することについては他に例をみない。

【《稗田環濠集落》と《下つ道》と《橋》】
古代、 大和平野には南北に通じる道が三つ造成され、下つ道、中つ道、上つ道と称した。稗田集落は、この下つ道沿いにあり、「稗田」の地名は、『日本書紀』天武天皇元年(673)の条に記載がある。
奈良時代に入り、平城京の都城制が確立すると、奈良盆地を南北に走る道路網が整備され、下つ道は、都の入口の羅城門から真南にのびる。
昭和51年の発掘調査の結果、この下つ道と当時の都市計画によって造られた佐保川の支流との交差部が稗田集落の南端で発見(稗田遺跡) された。 下つ道の幅員は16mで東側に11m、西側に4mの運河が並行して掘られてあり、水陸両用の幹線道路であった。政府の要人・外国からの使節・一般の人々や荷物が行き交い、にぎわっていたことがわかった。

【平城京とその周辺】
平城京、賣太神社、中つ道と下つ道の位置が記されている。

【手書きの由緒書き】

式内社 賣太神社御由緒
御祭神
主斉神 稗田阿礼命
副斉神 天宇受賣命
副斉神 猿田彦神
御由緒
古代大和平野は南北に縦走すると上つ道中つ道下つ道という幹線道路が整備され、稗田はこの道沿いに位置していた。『日本書紀』天武天皇元年(六七二)の条によると壬申の乱のおり、稗田に攻防を
決する重要な地点とみなされていたことが記されている。その後、平城京遷都にともない下つ道は条里制の基本線となり、奈良時代には平城京の羅生門・朱雀大路・大極殿へと通じる水陸両用の主要幹線道路として都に近い稗田は大変な賑わいをみせていたと考えられる。
この地に鎮座する賣太神社は創建は久遠ですでに千四百年前の古朝に聖徳太子が天皇より賜られた兵庫県揖保郡太子町の福州斑鳩手地管理の為、太子ゆかりの深い当地の稗田氏族が多数派遣され、祖神を祀る喜太神社を分祀し現代は稗田神社と改称して奉斎されている。
また平安時代中期の、延喜式神名帳」に「大和田流上郡太神社」と記載されている朝廷から官幣社と認められていた大和の古社である。
安土桃山時代文四年の神田検地帳によると、若宮八王寺など数々の摂社もあり、当時は社域規模が広社であったことが記されており、神楽田 猿女田 若宮など現在も残されている名により住時が偲ばれる。
令和元年、稗田の猿女君稗田氏が天皇賜った御養田である「猿女田とよばれる国道二号線東側の(現平和認定こども園)が発掘され、千六百年前(四世紀)の環濠や祭祉道具・弥生土器が多量に発掘された。
稗田阿礼命と「古事記」(日本最古の書)
稗田の地は、太古より天守愛賣命を祖とする猿女君稗田氏の居住地であった。
七世紀、天武天皇に舎人としてお仕え申し上げていた稗田阿礼命は、天宇受賣命の末裔(子孫)である。「古事記」の序に「時に舎人あり、姓は稗田、名は阿礼、年はこれ二十八、人となり聡明にして目に渡れば口に誦み、耳にふるれば心に勒しき」とある。天皇がご精選された歴代の神々や天皇の御事跡、神代以来の各氏族の歴史など数多くの事柄を勅語で譲渡しお授けになったこれを三十有余年後、奈良の都に遷都された翌年、元明天皇が太安万侶命に「稗田阿礼の読み習った事柄を記録せよ」とお命じになられた。このようにして、和鋼五年(七一二)五月二十八日に天皇に探干申し上げたのが「古事記」である。
『古事記』は上中下三巻よりなり、天地創造から推古天皇(七世紀)の時代に至るわが国最古の国文の歴史・文学の書であり古代の人々の生活習慣・思想など、多方面にわたって映し出されたものである。私たちの祖先がいかなることを考え、いかに生きてきたのかを偲ぶ、こよない手がかりとなる貴重な書物であると同時に日本の文化・伝統の根底に息づく「日本人としての心」を宿しているのが古事記である。
天宇受賣命
猿女君の祖先に当たる女神で稗田阿礼命にその子孫である天照大御神が天の岩屋戸にお隠れになった、天宇受賣命に鎮魂舞踊を舞い、天照大御神を岩屋からお出し申し上げた神である。
又、天孫降臨の邇邇芸命に従い天と地の分岐点で猿武彦神と問答し道案内をさせた。
この功績により、猿女とを賜り、宮中に伝えられたこの宗族が稗田の地に定住され祖神を賣太神社は官幣社に列せられた後世「おたふくさん」と親しまれて福の神・芸能の始祖神、縁結びの神、鎮魂の神として篤き崇敬を受けている。
猿田彦神
天宇受賣命の彦神で天孫通通藝命を天と地の分岐点に立って道案内をされたことから物事を始めたり、人生の場に立った時、良い方に導き道を切り開いていく力を授けていただける「みちびきの神」と崇敬されている。厄除開運・家内安全・商売・交通安全・受験・結婚・新築・移転・旅立ち等の際の霊験あらたかな神である。
阿礼祭
日本の近代児童文学のパイオニアである久留島武彦氏が外国のアンデルセンに匹敵する「日本のおはなしの神様」として稗田阿礼命をお祀りしようと発起人となられ、厳谷小沢岸辺福雄氏らとともに全国各地の童話家の賛助を得て奈良県童話連盟主導のもと、昭和五年八月十五日より三日間にわたり第一回阿礼祭が執行された。その後毎年八月十六日に阿礼祭が斎行され「稗田の舞」「阿礼さき」「本物童話会」盛大に執り行われている。今年に第九十温阿礼祭を挙行予定である。

由緒書きより

【社殿前】

【ご神木】

賣太神社 社殿

【拝殿】

拝殿の右側に絵馬掛けがある。

【本殿】
草木で見えにくいですが、左側から撮影。

【詳細不明の基壇】
拝殿の右側に正方形の基壇があり注連縄が掛けられています。また基壇の両脇に狛犬が配置されています。

【狛犬 阿形】

【狛犬 吽形】

【基壇】

昔、お社があったのかな?

【境内社】
詳細は不明です。

社殿の左側へ続く道。

【鏡池】
本社社殿の左側には池があり、鏡池と呼ばれています。

Googleマップ賣太(めた)神社

賣太(めた)神社 0743-52-4669
https://maps.app.goo.gl/uPg3PBW41j9b1RFu8

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