近鉄奈良線の若江岩田駅から北へ徒歩10分、近鉄けいはんな線の荒本駅から南へ徒歩14~5分ほど。
東大阪市菱屋東二丁目の暗越奈良街道沿いに鎮座する。また、すぐ西側には南北に河内街道が通り、暗越奈良街道と河内街道の交点がある。
境内には、かつて街道沿いにあった昔の石の道標が三基移されています。
境内は昔、大和川河口に島があり、その西側に宇賀御魂之神を祭祀していた。享保4年(1719)には氏神稲荷として承認されたそうです。
宝暦三年(1753)この地にも神社創建請願の声が高まり、守護神として放出村の阿遅速雄神社(大阪府大阪市鶴見区)より、味耜高彦根命(八剱大明神)を勧請し、八剱神社を祭祀しました。
【神社名】
八劔神社
【鎮座地】
〒578-0948 大阪府東大阪市菱屋東2-11
【御祭神】
宇賀之御魂之神 味耜高彦根之命(八剱大明神)
【創建年代】
1396年(応永三年)
周辺マップと路線経路
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八劔神社の入口~境内
暗越奈良街道沿いに鎮座する。
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【三基の道標】
旧暗越奈良街道と河内街道の交差点近くに鎮座し、境内より東約100メートルにあった昔の道標が三基移されています。
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【境内にある石碑】
神は人の敬によりて威を増し 人は神の徳によりて運を添う
神様は人々の崇敬をうけてこそ、その威光を輝かすのであり、神威を高めるのは人の敬う力である。
人としての運、人としての生命を与えられるのは、神様の徳によってである。
神と人との関係が述べられている。
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【手水鉢】
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【由緒書】
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御祭神二柱
由緒書きより
宇賀御魂之神(稲荷の祖神)
味耜高彦根之命(八劔大神)
境内は古代大和川河口に島があって、その西側に宇賀御魂之神が祭祀してあった。応永三年(一三九六年)九月の頃、先住者が剱を造っていたと云う。
此の地区は古菱江川を開拓して出来た地で菱屋新田と云う。
宝永二年(一七〇五年)戸数十三戸であった。
享保四年亥(一七一九年)に氏神稲荷社として承認されている。
菱屋東八劔神社由緒
新羅の僧が熱田の宮に鎮り座す神剱を盗み船にて本国に帰国途中河口で大嵐に遇いこれは神罰と恐れをなし神剱を河中に放り逃げ去った。
その後、この地の里人が神剱を拾い放出村の阿遅速雄神社に合祀奉斎後、熱田の宮に奉還された。
時は移り変って宝暦三年(一七五三年)には戸数五十一戸。
男 一三二人 女 一二三人になる。
此の地にも神社創建請願の声が高まり裁可され、この地の守護神として放出村より味耜高彦根之命(八劔大明神)を迎え頭文字を受け八劔神社を祭祀した。
【社務所】
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【社号標】
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【鳥居】
文化九年(1813年)に建立された鳥居。
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【境内の木々】
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【狐の狛犬】
弘化二年(1845年)の狐の狛犬。古いもととは思えないほどきれい。
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八劔神社 社殿
昭和34年に神殿・拝殿を建立、平成8年に両殿を改修。
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【拝殿】
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【本殿覆屋】
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【暗越奈良街道と河内街道 案内板】
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暗越奈良街道と河内街道
平成4年3月 東大阪市
この前の道は、「暗越奈良街道」です。生駒山頂の南側の暗峠(標高455m)を越え、大坂と奈良間を最短距離でつなぐ道であり、8里8町(34㎞)を測り古代より続いてきた古道の1つです。天正11年豊臣秀吉の大坂城築城後、大和郡山城主として弟の豊臣秀長が入城することになってから、大坂と奈良を結ぶ最短距離の道としてよく利用されていました。江戸時代に入って、この道は脇往還として大和・伊勢間を結ぶ旅客貨物の重要な交通路として発展し、伊勢参りなどで賑わいました。八剣神宮の境内に移されている天保2年(1831年)の道標は、「おかげ」と刻まれており、伊勢・奈良への道標です。
ここのすぐ西側を南北に通る道が「河内街道」です。この道は大正11年刊行の『大阪府全誌』に、枚方市伊加賀で京街道枚方宿西口から寝屋川・四條畷・大東・東大阪を経て、JR関西線八尾駅までの主要な道として載せられています。またこの道は、明治28年以降30年代にかけ大阪府が古道の屈曲部の直線化と拡幅工事をしています。それより以前は200m程西側の道で、奈良街道と合流していました。江戸時代の古図には河内街道といつ名称はありませんが、伊加賀から各村を結んでおり河内平野の中央部の重要な道でした。
八劔神社 周辺
【神輿庫】
境内を出て西側にある。
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【西側にある道標】
「河内街道」と「暗越奈良街道」の交点にある。
「すぐ(まっすぐ)石切 瓢箪山 奈良、左 住道 四条畷」と確認できる。
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公園前にも小さな道標。
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Googleマップ 八剱神社
八剱神社![](https://www19.a8.net/0.gif?a8mat=3NPAK9+6AU69E+348+6FHC1)
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