主祭神
玉櫛媛命 五十鈴媛命の母
媛蹈鞴五十鈴媛命 神武天皇皇后
相殿神
溝咋耳命 五十鈴媛命の祖父
天日方奇日方命 五十鈴媛命の兄
速素盞鳴尊 五十鈴媛命の祖
天児屋根命 藤原氏祖
創建は不詳。
社伝では、第10代崇神天皇の頃に創建されたとしている。溝咋神社は祭神節にあるように三島溝咋耳一族を祀っており、『古事記』『日本書紀』の諸伝承との関係が指摘される。
周辺マップと路線経路
鳥居と参道
【鳥居と社号標】
【一の鳥居】
一の鳥居。周りは住宅街になっている。
境内はここから北へ約200mほどのところにある。
【長い参道】
両サイドは民家になっている不思議参道。
【溝咋神社由緒案内板】
溝咋神社
茨木市教育委員会
溝咋神社は、『延喜式』(延長五年(九二七)完成)神名帳に摂津国島下郡の神社として記されている、式内社の一社です。主祭神は媛蹈鞴五十鈴媛命、その母の溝咋玉櫛媛命の二柱です。相殿には、それぞれ五十鈴媛命の祖父である三島溝咋耳命、兄の天日方奇日方命、先祖にあたる速盞鳴尊と、藤原氏の先祖である天児屋根命の四柱が祀られています。五十鈴媛命は三嶋(現在の茨木市を含む大阪府北部一帯)出身で父は神とされ、『日本書紀』神武天皇即位前期に神武天皇の正妃になったと記されています。
現在の本殿は、寛宝二年(一七四二年)に大坂町人の殿村平右衛門と石崎喜兵衛の寄進で造営されました。
安永五年(一七七六年)には二人が神社全域の社殿の修復費用も寄進していることが、溝咋神社に残された古文書に記されています。
【茨木市の保存樹林】
参道はさらにつづく。
長い参道。松や桜などの並ぶ並木道となっている。
二の鳥居に到着。道路を挟んで向こうの側にある。
境内入口(二の鳥居)
橋が架かっている。
【由緒案内板】
参道にあったのと同じ。
神門
門の左右には鳥帽子に十字の彫られた随身像が二体飾られている。
【神門解説板】
神門
神門立札説明より
神社の神域の境内と外部とを隔てる門。この薬医門には鳥帽子に十字の彫られた随身像が二体飾られている。領主であった高山右近の焼き討ちを防ぐ為か、領内の大半が切支丹になったといわれ改宗を余儀なくされた隠れ切支丹の信仰の対象とされたかもしれない。
末社 木花開耶姫命神社
神門をくぐる前に左側に池がある。
「木花開耶姫命神社」と「厳島神社」の相殿となった境内社が鎮座している。
池の上に浮いている。
【狛犬 阿形】
【狛犬 吽形】
木花開耶姫命神社 厳島神社
祭神
木花開耶姫命 (安産子育ての神)
級長戸邉命 (風の神)
市杵嶋姫命 (水の神)
菅原道真公 (学問の神)
神門をくぐり境内へ。
【手水舎】
本殿
【狛犬 阿形】
【狛犬 吽形】
【本殿】
末社 手力雄神社
天岩屋戸にかくれた天照大神が外の様子をみようとした時、岩戸を引いてひきだしたとされる。天手力雄神とも。「古事記」では天手力男神。
御祭神
手力雄神
力の神
摂社 事代主神社
事代主命は玉櫛媛命の夫神である。明治時代に目垣村の祭神が合祀された。
【狛犬 阿形】
【狛犬 吽形】
御祭神
事代主命
軻遇突智神(火の神)
奥津彦神(かまどの神)
奥津比賣神(かまどの神)
弥都波能売神(水の神)
波邇夜須毘古神(土の神)
波邇夜須毘売神(土の神)
末社 天照皇大神社
神々の中の最高神であり太陽の神。皇室の御祖先の神であり、私たち国民の総氏神。
御祭神
天照皇大神
猿田彦神
應神天皇
末社 保食神社
保食神は、日本神話に登場する神。古事記には登場せず、日本書紀の神産みの段、第十一の一書にのみ登場する。
日本書紀では保食神と呼ばれ、食物を司る神として描かれています。
御祭神
保食神
溝咋神社の樹木
【巾着の木】
巾着の木(タブノキ)
案内板より
江戸時代一七四二年頃に大阪の豪商殿村半右衛門によって海外から持ち込まれた。瀬戸内気候で育つのが極めて珍しくその生命力とパワーから「巾着の木」と呼ばれ長寿と金運の木として皆さんに祈られています
【その他の木々】
切り株に芽が。
境内の木々が美しい。
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