鳥取県 日野郡日野町 金持神社(かもちじんじゃ)

鳥取県の神社

日野町金持の板井原川が流れる側に鎮座します。
御祭神
天之常立命(あめのとこたちのみこと)
天と地の極所にましまして、天と地との軸のごとく天地を保ち給う神。国雅(わか)く、浮ける脂のごとくして、海月(くらげ)のように漂へる時、葦の芽の萌えあがるがごとく成りませる神にして
別天つ神。
八束水臣津努命(やつかみずおみずぬのみこと)
国引きをなし、国土を広くされ給う神。
淤美豆奴命(おみずぬのみこと)
国引きの時、綱になられ給う神。
この三神を合わせ祀り、三体妙見と言い、国土経営に力を入れる神。
合祭
天香語山命(あめのかごやまのみこと)
一名を高倉下命と申し、神倭伊波禮毘古命(神武天皇)の東征に力を貸し給う。
御神紋


創立年代不詳ですが、弘仁元年(810年)出雲国薗妙見宮(現長浜神社) より勧請され、旧社号を「妙見宮」と称し、明治元年神社改正の際「金持社」と改め、同年六月「金持神社」と改正されました。
社記によると「妙見宮」は、五十二代嵯峨天皇の弘仁元年(810年) 伊勢の神宮御遷宮の行われる時、出雲国薗妙見宮の神官の次男が出発するにあたり、「道中安全の為」と、妙見宮の神前なる目付の玉石を御守神として袋に入れ旅だった。しかし、この金持の地まで来たとき玉石袋が俄に重くなりどうする事も出来なくなり、旅中の事とてしかたなくその場において伊勢に急いだ。そのころ、梅林家(現宮司) 先代吉郎左衛門に宮造りする様神夢があり、その玉石をこの里の氏神として崇め奉ったと伝えられています。
境内の樹木
鳥取県の銘木百選に指定された「さわら」「チャンチン」〈原産中国)等の樹齢600年~700年余りの木があります。 尚、「チャンチン 」 は鳥取県に一本しかない珍しい木で、たたら製鉄でやけどをしたり、目を痛めたりした為、薬木として樹液を「やけどの薬」赤い実を「目薬」として使用するため植えたのではなかろうかと考えられています。

金持神社の基本情報

【神社名】
金持神社かもちじんじゃ

【鎮座地】
〒689-4512
鳥取県日野郡日野町金持1とっとりけんひのぐんひのちょうかもち490

【御祭神】
[主神]
天之常立命あめのとこたちのみこと八束水臣津努命やつかみずおみずぬのみこと淤美豆奴命おみずぬのみこと
[合祀]
天香語山命あめのかごやまのみこと

【社格】
旧村社きゅうそんしゃ

【御利益】

金運招福・開運招福・商売繁盛・家内安全・交通安全・神恩感謝・願望成就等々

【関連リンク・公式ホームページ】

【祭り・行事一覧】

時 期内 容
元旦歳旦祭
4月25日春季例祭
7月25日夏季例祭
10月25日秋季例祭
記載されている予定は実際とは異なる場合があります。お出かけの際は当該施設までお確かめください。

路線経路と周辺マップ

画像出典:© OpenStreetMap contributors

金持神社の駐車場周辺

金持神社は鳥取県日野郡日野町に鎮座します。

【金持党発祥之地】

【碑文】

碑文
ここ鳥取県日野郡日野町金持は、全国に広がる金持一族発祥の地である。古代、鉄を産したことにより当地は「かもち」とよばれ「金持」の漢字があてられた。やがてここに藤原姓の金持党が生まれ鎌倉時代初めの元久年間には金持広親公が伯耆守護となるなど、砂鉄を背景として次第にその勢力を広げた。その後、宝治合戦で破れて雌伏していた金持党が再び世に現れたのが元弘の変である。隠岐を脱出した後醍醐天皇は、名和長年の援けを得て船上山に拠り鎌倉幕府追討の檄を飛ばした。これに応えて馳参じたのが金持大和守景藤公率いる三百余騎の軍勢であった。景藤は後醍醐天皇の京都帰還の際には、錦の御旗を奉じてその左に従うなど、股肱の臣として建武新政の重要な地位を占めたのである。以後、金持党は終始南朝方として各地を転戦した。しかるに南朝は次第に衰亡、伯耆は北朝方の山名氏によって支配され金持党はその本拠を失うに至った。しかし、金持党の末裔は転戦先にてその名字を残している。金持の地を離れたことにより、読み方は「かなじ」「かなもち」「かねもち」などに変わったが、多くはここ金持党の末裔である。金持党誕生以来九百余年その本貫であるこの地に碑を建立するものである。

二〇〇九年 姓氏研究家 森岡浩選

【金持礫岩】

【金持礫岩 解説板】

金持礫岩かもちれきがん
礫岩は様々な種類の石が礫として集合し、堆積することにより岩石になったものです。含まれる礫の一つ一つを詳しく調べると、地球の永い歴史を読み取ることができます。
金持礫岩は、ここ金持地区に少量その分布が認められ、中生代白亜気(今からおよそ1億年前、まだ恐竜がいたころ)にできたと考えられています。
しかし、この岩石には、より古い時代の花崗岩や変成岩などの岩石が礫として存在し、礫以外の部分(基質)を火山性の物質が占めていることから、火山活動によってできたと考えられています。地質学的にまだまだ謎に満ちあふれた貴重な岩石です。

平成19年11月 解説:島根大学 松本一郎

【金持神社 案内板】

日本で一番縁起の良い名前の神社(鳥取県日野町)
金持神社
御祭神
天之常立尊、八束水臣津努命、淤美豆奴命
天常立尊を御祭神とする全国でも数少ない神社。 国土経営、開運、国造りの神様をお祀りしています。
由来
八一〇年出雲の神官の次男が、伊勢神宮参拝のためこの地を通りかかったところ、お守りとして身につけていた神前の目付の玉石が急に重くなりました。
そして、この地に宮造りするよう神夢があったので、宮造りしたと伝えられています。
金持郷は、昔、黄金より勝ると言われた「玉鋼」の産地で、原料の砂鉄が採れる谷を多く所有し、金具の文字で表されているように鉄のことを「かね」と読んで
いた事から、金の採れる谷を多く持つ郷「金持」と呼ばれるようになったと伝え
られています。
境内の銘木
金持神社境内には、鳥取県銘木一〇〇選中、サワラ、チャンチンの二本があり樹齢六百年位と云われています。サワラは神社の遷宮の際に屋根のコワ材として利用するために植えられたものと考えられています。チャンチンはセンダン科の木で、果実は目薬に用い、先人が鉄生産の予防薬として、中国より取り寄せたものと考えられています。県内では、このチャンチンの木、一本しか確認されていません。
金持姓のルーツ
問合せ
日本で一番景気の良い名字の「金持」。その金持姓のもとになった地名がこの地です。歴史は古く鎌倉幕府御家人、金持広親は一二〇五年から守護職として、この伯耆の国を治め、鉄器製造が盛んである地域にふさわしく、国宝・太刀「童
子切安綱」で知られる日本最古の刀匠、伯耆安綱を輩出しています。「吾妻鏡」
などにも記載のある由緒ある名字の「金持」。全国の「金持さん」、自分のルーツを探しにぜひこの地へ。
「金持景藤公が必勝祈願」
この地の豪族、金持景藤は、一三三三年、隠岐を脱出された後醍醐天皇を奉じ
討幕の軍に参加し大活躍しました。その際、金持神社に必勝祈願し、神前の戸帳を御旗にしたと伝えられています。京都への遷幸の折には、天皇の右側に名和長年公・左側が金持景藤公で「錦の御旗」を持ち上洛しました。 金持大和守景藤公のお墓と伝えられている宝篋印塔が金持地内に現在も残っています。
開運伝説
「長谷部信連公の再起」
平家物語や源平盛衰記など多くの古書で快男児としてうたわれている長谷部信連公。一一八〇年、後白河法皇の第二皇子の平氏追討計画が事前に発覚、信連公は密かに皇子を宮殿から脱出させ、孤軍奮闘しました。そのため七年間、金持郷に流刑の身となりました。その間に日野町にとって大切な延歴寺、長楽寺、祇園神社などを残しています。平氏滅亡後、源頼朝御家人七人衆の一人として、安芸国宮島の検非違使、能登国の地頭職として山中温泉の発掘等を手がけ、のちに加賀百万石前田家の筆頭家老職(穴水城主)として明治まで続く長氏の始祖となりました。

案内板より

【金持神社札所(売店)】
営業時間は午前10時~午後4時です。

金持神社札所の軒下にツバメ。

ツバメの巣がありました。

【板井原川】

金持神社へは板井原川を渡ります。

【神明橋】

神明橋を真っ直ぐ進むと金持神社。

板井原川の上流へ向け撮影。

下流へ向け撮影。

【案内看板】

案内板の横には由緒が書かれています。

金持神社の参道入口

【手水舎】

【鳥居】

【狛犬】

【石碑】

金持神社の樹木

【サワラ】

鳥取県の銘木100選に指定された「さわら」

【小さな古い狛犬】

【社務所】

【絵馬掛け】

金持神社 社殿

【社殿前の狛犬】

【拝殿】

天常立尊・八束水臣津奴命・淤美豆奴命を祭神とし、近世までは「三体妙見宮」といわれていました。
社伝によると、出雲国菌妙見宮から勧請されたといわれています。勧請された年代は不明です。維新後に、現社名に改称されました。「金持」という景気のよい地名は、タタラか鍛冶に係わるカヌチ・カナジの語から出た地名だろうといわれています。
また、「太平記」に登場する金持景藤をはじめ、「吾妻鏡」「愚管抄」「大山寺縁起」などに
名が出る金持氏の本拠地であったと思われています。
また、戦いに勝利し後醍醐天皇が京へ遷幸の折には、天皇の左側で錦の御旗を掲げ上洛しました。その時、この金持神社へと立ち寄られ、聖運萬安の祈願をかけ給われたと伝えられています。

【指画「龍神之図」】

拝殿内には指画「龍神之図」と日本画「野菊」「長寿桜」。

指画「龍神之図」
当時、日野町根雨出身の濱田珠鳳さんにより平成十五年八月吉日奉納されました。
中国、唐代から伝わる珍しい画法で、筆を一切使わず、手・指・爪などで描き日本では唯一の指画画家です。
五十歳の折、中国天津に留学し、著名な画家達から花鳥風月を学び、これまで伊勢神社をはじめ、奈良・三輪明神、近くでは大山・大神山神社など多くの神社に「龍」を奉納されております。
ここに奉納された「龍神之図」は横二・五米、縦〇六五米の作品で「皆さんに福が訪れ、町の発展に役立つように」との願いと共に掲げられました。

【本殿】

本殿の裏にも絵馬が掛かっています。こちらの絵馬には宝くじの高額当選のお礼などが書かれていました。羨ましい。

【御朱印】

【奥日野の銘酒“金持酒”】

金持神社札所(売店)で購入した金持酒。

容器は徳利になっています。

この酒は、実に強運、希望の酒である。信連再起の聖地・金持神社にて祈願し故に「金持酒」という。乱世、末法を切り拓く縁起を秘めて、いつまでもつわものたちの夢を奏でるだろう。

金持酒の説明より

金持神社 Googleマップ

金持神社 · 〒689-4512 鳥取県日野郡日野町金持1490
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