左京区 鞍馬貴船町 本宮 貴船神社(きふねじんじゃ)

京都の神社

貴船神社は、全国に約五〇〇社を数える貴船神社の総本宮。
天武天皇の御代・白鳳六年(六七七)にはすでに御社殿が造られていたという、京都でも屈指の歴史を誇る神社。

貴船神社の基本情報

【神社名称・別称】
貴船神社きふねじんじゃ
貴布禰総本宮きふねそうほんぐう

【鎮座地】
〒601-1112
京都府京都市左京区鞍馬貴船町きょうとふきょうとしさきょうくくらまきふねたょう180

【式内社】
山城國愛岩郡 貴布祢神社 名神大 月次新嘗
[社格]
旧官幣中社きゅうかんぺいちゅうしゃ

【御祭神】
高龗神たかおかみのかみ

周辺マップと路線経路

画像出典:© OpenStreetMap contributors

二の鳥居 参道

【二の鳥居】

【社号標】

【貴船神社立札】

貴船神社
水徳神高龗神たかおかみのかみ(たかおかみのかみ)を祀る旧官幣中社かんへいちゅうしゃで、社名は古くは木船、貴布祢とも書いたが、明治四年(一八七一)以降「貴船」と改められた。
平安時代延喜の制には、名神みょうじん大社という最も高い格式に列し、日照りや長雨が続いたとき、また国家有事の際には必ず勅使が差し向けられ、祈念がこめられた。弘仁こうにん九年(八一八)以来の歴朝の奉幣、祈願では、もっぱらもっぱら祈雨、止雨の神として崇められ、祈雨には黒馬、祈晴には白馬または赤馬が献ぜられるのが例であった。平安時代末期には賀茂別雷神社かもわけいかづちじんじゃ(上賀茂神社)の摂社とされたが、明治以後独立した。
かつて社殿は貴船川に沿って上がった所にある現在の奥宮の地にあったが、天喜てんぎ三年(一〇五五)、現在地に移転された。
本殿、拝殿、権殿等から成り、本殿は文久三年(一八六三)及び平成十七年(二〇〇五)に改修された。また、境内には祈雨の行事を行った雨乞の滝、奥宮本殿の西には船形石と呼ばれる船の形に積んだ石塁がある。和泉式部いずみしきぶがお詣りし、 不和となっていた夫と願いがかなって復縁した話はよく知られている。

京都市

【参道】

石階段が続き、赤い灯篭が並んでいる。日が落ちて暗くなると、灯篭に明かりがともされ幻想的な光景となるそうです。

【南門】

境内の様子

【手水舎】

黒馬と白馬の銅像があります。これには理由があって、貴船神社は「絵馬発祥の社」との事です。

絵馬発祥の社えまのふるさと
古来より雨乞の社として名高い当社には、畏くも歴代天皇様より旱天(ひでり)には黒馬・霖雨には白馬又は赤馬をその都度献げて御祈願される例になっていました。
しかし、時には生馬に換えて『板立馬』を奉納したと平安時代の文献である『類聚符宣抄』は伝えています此の「板立馬」こそは今日の絵馬の原形と言われています。
当宮では、此の故事に倣い、かつて和泉式部が復縁を平實重が蔵人昇任を、大宮人が加茂競馬の必勝をそして源義経が源氏再興を、それぞれ大神様に祈ったように、皆様方の心の願いを、一枚の絵馬に託して御祈願なさいますよう、お勧め致します。

立札より

【龍船閣】
参拝者はここで休憩できるようになっています。

風景がいい感じ。

【石庭 天津磐境(あまついわさか)】

石庭 天津磐境(あまついわさか)
昭和の作庭家の第一人者・重森三玲氏が昭和四十年に、古代の人々が神祭りをおこなった神聖な祭場「天津磐境(あまついわさか)」をイメージして造った石庭。貴船川から産出する貴船石は、緑色や紫色をした美麗な水成岩で、石庭、盆栽石の名石として、その数も少なく珍重されている。
この庭は、貴船名石保存のため、すべてを貴船石で石組されているのが特徴で、庭全体が船の形になっている。中央の椿の樹がマストで、神が御降臨になる樹籬(ひもろぎ)でもある。
神武天皇の母神様・玉依姫が、浪速の津から水源の地を求めて黄色の船に乗ってこの地に来られたとの神社創建の伝承に因んでいる。その貴船は今も奥宮に船形石として残っている。

石庭案内立札より

【斎館】
神職の方が神事を行う前に心身を清めるためにすごす建物。

【御神水】

社殿前の石垣から貴船山からの御神水が湧き出ている。水占みくじをここで行っていました。

神水
一、 自ら活動して他を動かしむるは水なり
二、 常に自ら進路を求めて止まざるは水なり
三、 自ら清くして他の汚水を洗い清濁併
せ容るるの量あるは水なり
四、 障害に逢い激しくその勢力を百倍
するは水なり
五、 洋々として大洋を充たし、発して
蒸気となり雲となり雪と変し霰と
化し凝っては玲ろうたる鏡とな
る、而もその性を失わざるは水な

神水立札より

水占みくじ

本殿

【由緒案内板】

由緒
御祭神は高龗神たかおかみのかみ。水の供給を司る神。
創建年代は明らかでないが、第十八代反正天皇の御世に奥宮の水の湧き出すところに社殿を建てたという御鎮座伝説がある古社。対岸鞍馬山の鞍馬寺は、平安初期の延暦十五年(七九六)藤原伊勢人が貴船明神の夢のお告げで建立したと諸書に出ているので、その当時すでに貴船の神は大きな力を具えていたことがうかがえる。永承元年(一〇四六)七月の水害で奥宮が被災、天喜三年(一〇五五)四月この地に本社を移築した。
京都に都が開かれて当社は国の重要な神社となり、事ある毎に勅使(天皇のお遣い)が差し向けられた。特に当社には、日照りの時には黒馬を、長雨の時には白馬を献じて「雨乞い」「雨止み」の祈願がこめられた。「その数数百度に及ぶ」とある。平安時代の勅願社二十二社の一社で、延喜式名神大社。庶民の崇敬も篤く全国に二十社を数える分社がある。
古くは「貴布禰」と記したが「黄船」「木船」「木生嶺」「気生根」などの表記も見られる。明治四年官幣中社となり、以後「貴船」の表記で統一された。
例祭六月一日

由緒案内板より

【本殿】

【権殿】
本殿の改築、修理の際、神体を一時安置する仮の社殿との事です。
本殿の北側(裏側)に建てられています。普段は入れないようです。

貴船神社の末社

梅宮社うめみやしゃ
貴船神社の境外摂末社。
叡山電鉄鞍馬線貴船駅から京都府道361号上黒田貴船線を北上し貴船神社に向かう途中に末社の梅宮社が道路の右手側に現れる。
梅宮社の御祭神は木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめ

祖霊社それいしゃ
御祭神 社人、氏子、崇敬者の祖先の御霊、人すべてその源に立ち返り初心忘るべからずという大神の御教えにより報本反始、敬神崇祖の心を養う。

牛一社ぎゅういちしゃ
御祭神 木花開耶姫命このはなさくやひめ(古伝に「牛鬼」) 例祭 二月十五日
牛鬼は、貴船明神が丑の年、丑の月、丑の日、丑の刻に御降臨の際お伴した神。
丑の刻参りは有名。

川尾社かわおしゃ
御祭神 罔象女神みずはのめ
例祭 二月十五日
往古、思ひ川にあって河水を主宰すし給う神であったが、いつしか鈴鹿谷の下にあるを以て川尾社と称う。病気平癒の神。

鈴鹿社すずかしゃ
御祭神 大比古命おおひこ(古伝に皇大神宮)
もと本社裏手、鈴鹿谷の上にあり。往古より伊勢の大神を祀るという。
例祭 三月十五日

貴船神社の樹木

【桂(御神木)】

桂(御神木)
貴船は古くは「気生嶺」「気生根」とも書かれていた。大地のエネルギー「気」が生ずる山、「気」の生ずる根源という意味。
神道では、体内の気が衰えることを「気枯(けが)れ」といい、古来当社に参拝する者皆、御神気に触れ、気力の充実することから運気発祥(開運)の信仰が篤い。この桂は、樹齢四百年。樹高三十メートル、根元からいくつもの枝が天に向かって伸び、上の方で八方に広がる。
これは御神気が龍の如く大地から勢いよく立ち昇っている姿に似て、当社の御神徳を象徴し、まさに御神木と仰がれる由縁である。
上流の結社さらに奥の奥宮の境内にもこれより大きな桂がある。

貴船神社桂の立札より

北側の入口(出口)

鈴鹿川に架かる鈴鹿橋。

鈴鹿川上流へ向け撮影。小さな滝のようになっている。

下流側を撮影。

【北側の鳥居】

貴船神社Googleマップ

貴船神社 075-741-2016
貴船神社 · 〒601-1112 京都府京都市左京区鞍馬貴船町180
★★★★☆ · 神社

貴船神社 奥宮へ

貴船神社 中宮 結社へ

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