地元では「お産のじょうぐうさん」と呼ばれ親しまれている神社です。神功皇后が、ここで皇子の応神天皇を安産したことから、安産の神様として崇められています。また神功皇后は、氣比神宮の祭神・仲哀天皇の妻であるため、常宮神社は氣比神宮と夫婦とされ、常宮神社は古くは奥宮・摂社といわれています。毎年7月22日の例祭、総参祭(たなばた祭とも呼ばれている)には、氣比神宮の御祭神・仲哀天皇を納めた御座船「神宮丸」に乗って御幸浜から出港します。
船中で祭典を行なったあと常宮に至ります。この日は禁漁で、御座船に奉仕すれば豊漁に恵まれるとして漁業者は小船で曳行するとの事です。その由来については、神功皇后が百官を率いて出征した伝説に基づくとする説や、陽神の気比神(伊奢沙別命)が陰神の常宮神(天八百萬比咩命)を訪問するという説があります。
路線経路と周辺マップ
常宮神社 入口
常宮神社は福井県道141号(竹波立石縄間線)沿いに鎮座します。敦賀湾が見渡せます。
【鳥居】
【安産の神様】
神功皇后は常宮で腹帯を付けて筑紫で応神天皇を出産したという故事から、常宮神社は安産の神として信仰されています。また、立地条件や神功皇后が三韓征伐に際して海路の無事を祈願したとの伝えがあることから、航海や漁業、船乗りの守護神としても信仰されています。
【社号標】
常宮神社には国宝の朝鮮鐘が奉納されていることでも有名です。
【鳥居】
鳥居のすぐ横に川が流れています。
【参道】
常宮神社 拝殿
参道を少し歩くと拝殿。
拝殿から見渡す敦賀湾は、道路から見る海とはまた違う雰囲気です。海から潮風が吹き込み、ベンチもあるので休憩にはもってこい場所です。
【拝殿からの眺め 動画9秒】
【拝殿前の鳥居】
【宮川史斗の句碑】
「船虫の走りゐる帆をあげにけり」と詠まれています。
宮川史斗の句碑の奥には境内を流れる滝があります。
橋がかかる。
【手水鉢】
常宮神社 中門 (福井県指定有形文化財)
平成21年3月24日 追加指定
銅板葺、向唐破風の屋根を持つ、正面一間、側面二間の四脚門です。本殿と近い次期に造られたと考えられています。
中門をくぐる際、貝殻が並べられています。
【社務所】
【陣釜】
敦賀城主、大谷吉継が奉納したとされる陣釜です。
【国宝『朝鮮鐘』】
常宮神社は国宝の朝鮮鐘が奉納されていることでも有名です。朝鮮の役における吉継の見事な軍監ぶりに「吉継に百万の大軍の軍配を預けてみたい」と秀吉に言わしめた。この役で持ち帰った朝鮮鐘は、吉継の手で慶長二年(1597)に秀吉の命により常宮神社に奉納されたといわれています。
【朝鮮鐘 案内板】
[国宝] 朝鮮鐘(太和七年三月靑州蓮池寺鐘在銘) 一口
指定年月日 昭和二十七年十一月二十三日
所在地及び管理者 敦賀市常宮 常宮神社
時代 太和七年(八三三年)
総高一一二センチメートル 竜頭高二二・四センチメートル
口径六六・七センチメートル
口厚六センチメートル
本鐘は、銘文によれば八三三年に朝鮮半島の青州池寺の鐘として製作された、青銅製のである。蝋型鋳物の焼き流し技法によって製作され、文様、形態は古様で、日本に伝来する朝鮮鐘のうち最も古く大形のものに属する。
和鐘は身に袈裟棒という大小の区画を施したものが多いが、本鐘には上下に荒磯文の帯が施されており、これが朝鮮鐘の特徴の一つである。笠上には音筒と竜頭が付けられ、竜は笠上の珠を咬み、両肘を左右に張っている形状である。身の上部四箇所に乳、各乳廓には花座を伴う乳が三段三列に配置され、現在でもその一部が残存している。鐘身下部には二箇所の撞座と、二体の天衣をなびかせた天女が描かれている。
慶長二年(一五九七) 敦賀城主・大谷吉継 (吉隆)が、豊臣秀吉の命により、当神社に奉納したと伝えられているが異説もある。
令和四年三月一日 敦賀市教育委員会
【常宮神社 由緒書き】
常宮神社
一、御祭神 本殿 天八百萬比咩命 神功皇后
仲哀天皇
一、例祭 七月二十二日 十一時
総参祭 七月二十二日 正午
気比の神々が一年に一度海上渡御をされ、当神社へお渡りになる。別名、七夕祭とも称される。
一、由緒
天八百萬比咩命は上古より養蚕の神として霊験あらたかに此の地に鎮
まり拾い、今から約二千年前仲哀天皇の即位二年春二月に天皇皇后御同列にて百官を率いて敦賀に御幸あり笥飯の行宮
を営み給うた。その後天皇は熊襲の変を聞こし召され、紀州へ御巡幸せられ 陸路山陽道を御通過、山口県へ向はせ給う。皇后は二月より六月まで此の常宮にとどまり拾い、六月中の卵の日に海路日本海を御渡りになり、山口県豊浦の宮にて天皇と御再会遊ばされ拾うた、此の由緒を以って飛鳥時代の大宝三年(七〇三年)勅を以って神殿を修造し、神功皇后・仲哀天皇・応神天皇・日本武命・玉妃命・武内宿禰を合わせまつられた、爾来、気比神宮の奥宮として一体両部上下の信仰篤く、小浜藩政まで気比の宮の境外の摂社として祭祀がとり行われた。明治九年社格制度によって県社 常宮神社となって 気比神宮より独立いたした。
一、御神徳
天八百萬比咩命は常宮大神ととなえまつり、養蚕の守り神として敦賀は勿論県内南条郡、又、三方郡、滋賀県北部の人たちの信仰をあつめ御神徳をたれ給うた。
神功皇后は三韓征戦の前、この地にて御腹帯を着け遊ばされのち福岡県宇美市にて応神天皇(八幡大神)を御安産遊なされた。
故事によって、古くより安産の神として御神徳をたれ拾い広く国内よりの参拝者多し、又皇后は此の地を御船出されるにあたり、海神をまつり海上の安全を祈願され、はるばる日本海をわたって、遠く朝鮮までも無事航海された由縁により海上の守り神として漁業者・船主・船乗りの深い信仰をあつめている。
【絵馬掛け】
常宮神社 拝所(福井県指定文化財)
本殿前には拝所があります。
銅板葺、向唐破風の屋根を持つ、正面一間、側面二間の四脚門。もとは氣比神宮の中門で、寛永14年(1637)、小浜藩初代藩主酒井忠勝によって寄進されたと伝えられています。昭和18年に現在の場所に移築され拝所となりました。
常宮神社本殿 (福井県指定文化財)
常宮神社は、大宝3年(703)に勅命により社殿を修造したと伝えられます。また、気比神宮の境外摂社として崇敬を集めてきた古社です。
【狛犬】
昭和57年4月23日 指定
正徳3年(1713)に再建された、正面三間、側面三間、向拝一間の前室付三間社流造の建物。身舎には円柱、前室と向拝には角柱が使われており、前室は身舎より一段低くなっています。虹梁間や、笈形、頭貫鼻などには彫刻が施され、屋根は当初は桧皮葺であったと考えられています。
本殿周囲4社
【総社宮】
応神天皇(八幡大神) 第15代天皇。厄除開運の神。
【西殿宮】
武内宿禰命 長寿・子孫繁栄の神。
【東殿宮】
日本武命 文武・家内安全の神。
【平殿宮】
玉姫命 神功皇后の妹。音楽舞踊の神。
【祈願燈明】
式内社4社
本殿の西方には屋根がつながった4社があります。こちらはそれぞれ式内社に指定されています。
【伊覩神社】
御祭神 白木彦神・御祭神は高良玉垂命とも、玉佐々良彦神であるとも。延命・海上安全の神。
社格 式内社「玉佐々良彦神社」、越前国内神名帳「正四位 天玉佐々良彦神」
【天鈴神社】
御祭神 住吉大神 航海安全・和歌の神
社格 式内社「天鈴神社」、越前国内神名帳「正四位 天鈴神」
【天国津彦神社】
御祭神 磯良大神 海の守り神
御祭神の「磯良大神」とは三韓征伐に関連する阿曇磯良を指します。祭神を吉備津彦命の弟の若武命とする説もありますが、不詳。
【天国津姫神社】
御祭神 龍女神 海(湖)の神・雨乞の神
社格 式内社「天国津比咩神社(天国比咩神社)」、越前国内神名帳「正四位 天国津姫神」
『日本文徳天皇実録』によれば、天国津比咩神・天国津彦神・天鈴神・玉佐々良彦神の四神は、いずれも天八百万比咩神とともに斉衡3年(856)に官社に預かって従五位下の神階に叙されています。
その他の境内社
【神明神社】
御祭神 天照皇太神、豊受大神 国家平安・家内安全の神。
【竹生島神社】
御祭神 市杵島姫神 (弁財天)芸術・福徳の神。
【猿田彦神社】
御祭神 猿田彦神 縁結び・交通安全の神。
【稲荷神社】
御祭神 豊玉稲荷大神 豊穣・商売繁昌の神。
【恵比須神社】
御祭神 素戔嗚尊 疫病退散の神。
恵毘須大神 豊漁・福徳・漁業の神。
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