もとは保良神社といいましたが、明治43年小林神社、赤崎神社と合祀し、旧称菅浦大明神に因んで須賀神社と改称したそうです。この地には、天平宝宇3年(759年)、保良宮が営まれ、同5年より6年まで淳仁天皇が隠棲されたといいます。
この地では淳仁天皇崩御の年より50年毎に法要を営む旧慣あります。文久3年(1863)1100年祭、昭和38年(1963)に1200年祭が営まれ、1250式年祭が平成25年(2013)10月13日に行われました。
ご神像は帝がこの地に在せし時、自ら榧の木を採って彫刻になったものと伝えられます。
例祭は、3基の御輿の渡御があり、古例による幣祭、伝統が守られ、重要文化財「菅浦文書」及び村の自治組織は、中世の姿をよく残しているといわれています。
路線経路と周辺マップ
須賀神社 周辺(菅浦の湖岸集落)
菅浦の湖岸集落の入口付近。
【湖岸の景色】
奥琵琶湖の湖岸。
【菅浦の湖岸景観の案内板】
【御供所】
【神輿堂】
二棟の御供所の奥にある神輿堂。須賀神社の神輿が三基納められているそうです。
【四足門】
【四足門・神輿堂 案内板】
西の四足門・神輿堂
「四足門」は、現在は集落の東西に建っている。「四方門」とも呼ばれ、集落の東と西の端のほか、かつては郷土史料館付近と祇樹院南側に設けられ、集落の領域と外界を区切っていた。
二棟の御供所の奥にある神輿堂は須賀神社の神輿を三基納める。
長浜市
【菅浦の湖岸集落】
琵琶湖の北端より南に突き出て岬状となる葛籠尾崎の西側の入り江に位置し、滋賀県長浜市西浅井町菅浦の菅浦を中心とする地域を指します。集落の端には東の四足門があります。
須賀神社 入口
【社号標】
【須賀神社 案内板】
【参道沿いの川】
【鳥居】
【狛犬】
菅浦郷土史料館
こちらで須賀神社の御朱印がいただけますが開館が月日、時間が決められています。
【菅浦郷土史料館 案内板】
菅浦郷土史料館(鳥居上った右側)
当初、竹製品振興等保存伝習施設として昭和五十九年(一九八四)に建設されるが、現在は郷土史料館となり、菅浦の歴史や文化を伝える。
館内には、菅浦文書(国宝)や菅浦与大浦下庄堺絵図(国宝)の複製や須賀神社の宝物であ鰐口(市指定文化財)等が展示されている。
開館期間 四月~十一月の日曜日
長浜市
【参道】
【二の鳥居】
須賀神社 社殿
【須賀神社 案内板】
須賀神社
明治四十二年(一九〇九)、小林神社、赤崎神社、保良神社を合祀して須賀神社とした。
社殿は二殿で、一殿は保良神社(祭神 淳仁天皇)、もう一殿には小林神社(祭神 大山咋神)と赤崎神社(祭神 大山祇神)を祀る。
淳仁天皇の墓と伝える舟形御陵が背後に残る。
長浜市
【手水舎】
【手水鉢】
こちらの手水鉢から先の階段は土足厳禁となりますので、スリッパへ履き替える必要があります。
スリッパ(サンダル)が用意されています。こちらを利用するのは少し勇気がいるのであらかじめ持参するのが良いかとおもいます。
【参道】
【参道 動画 28秒】
拝殿
階段をのぼると拝殿になります。
本殿
【狛犬】
拝殿の後ろに本殿が鎮座します。
境内社(摂社・末社)
須賀神社の西側には神明社と天満宮社が鎮座します。
【神明社】
天照皇大神・豊受神社・白山神社・愛宕神社
【天満宮社】蛭子大神・大国大神・天満大神・八幡大神
【神牛】
神明社と天満宮社の間にある神牛。
【神饌所】
境内の神饌所になります。神様に飲食物などを供える場所です。
淳仁天皇の墓と伝える舟形御陵が背後に残っているそうですが、わかりませんでした。
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