鵲森宮(森之宮神社)は、大阪市中央区森ノ宮中央にある。JR大阪環状線森ノ宮駅から徒歩約2~3分。
主祭神は、用明天皇、穴穂部間人皇后、聖徳太子で、奥社には、天照大御神、素戔嗚尊、月讀命が祀られている。
崇峻天皇二年(589)七月、聖徳太子は物部守屋との戦いで必勝を祈願し、勝った暁には四天王像をつくることを誓った。
戦いに勝利した聖徳太子は、まず父母の用明天皇、穴穂部間人皇后を祀り、その後、当地に四天王像を祀る寺を建立した。
のちに寺は、荒陵山に移り、四天王寺となるが、この「元四王寺」が神社の縁起と伝えられている。
日本書紀によると、このあたりを難波の杜と呼んでいた推古天皇の時代に、鉄鋼業の祖といわれている難波の吉士磐金が、新羅国から帰国し、鵲二羽を献上した。
その鵲をこの森で飼わせたことから「鵲の森」と呼ばれ、やがて「鵲森宮」という名となり、略して「森之宮」というようになった。
鵲(かささぎ)とは
からす科の鳥。カラスより小さく尾が長い。背は黒く、肩羽と腹は白い。七夕の架け橋を作る伝説の鳥として有名。奈良時代の歌人大伴家持は七夕伝説でカササギを歌っている。
周辺マップと路線経路
鵲森宮の入口
玉造筋沿いに鎮座する。
【鳥居】
【御祭神 案内板】
【社号標】
【境内社 五幸稲荷社】
【拝殿内】
【手水舎】
鵲森宮 社殿
【狛犬 阿形】
【狛犬 吽形】
【社殿】
創建当時は、「方八町にして神領神田広大」といわれるほどの社領だったが、織田信長の石山合戦の際、土地を略奪され、社殿も焼失した。現在の社殿は昭和初期に建設されたもので、第二次世界大戦の空襲で周辺は被害を受けたが、社殿は残り現在に至っている。
【拝殿】
【社務所】
社殿右の鳥居をくぐると社務所。
【本殿西側の歌碑】
「鵲の 渡せる橋に置く霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける」と詠んだ大伴家持の(おおとものやまもち)の歌になります。
歌意は、七夕の日、織姫と彦星を逢わせるため、かささぎの群れが翼を連ねて渡したという天の川の橋。その天上の橋が、霜が降りたかのように白く冴えているのを見ていると、夜もすっかりふけたのだと感じる。
【亀井水碑】
「亀井水碑」が建立されている。
もとはJR森ノ宮駅付近にあり、古代は温泉が湧きあがっていたといわれている。
聖徳太子命名の井戸。長寿の霊水で、四天王像とともに四天王寺に移されたといわれ、四天王寺には亀井堂がある。
西側への出入口。森之宮公園に出る。
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